今泉勝義
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旧制日本大学第三中学校在学中に、1940年夏[5]の甲子園に出場し、チームをベスト8に導く活躍を見せた。当時の監督に藤田省三(のち近鉄初代監督)、チームメイトに、坂本茂(のち巨人などでプレー)がいた。
中学卒業後の1944年に巨人に入団。4月29日の阪急戦(甲子園球場)で9番・遊撃手として先発出場した[3]。しかしプロの壁は厚く、この試合を含め2試合にしか出場できず、ヒットを打つこともできなかった。終戦後の1946年に沢村栄治(1943年に現役引退。翌1944年に台湾沖で戦死)の後を引き継ぎ、背番号14を付けた。しかし、出場機会はなく6月3日までに退団した[6]。中学時代のチームメイトだった坂本茂が今泉の後を受けて、背番号14を着用。巨人軍で最後に背番号14を着用した選手になった(翌1947年7月9日、日本プロ野球初の永久欠番となった)。
巨人退団後は、社会人野球のいすゞ自動車と山形ハッピーでプレーした[7]。山形ハッピー在籍中、1950年の都市対抗野球に出場している。