令狐滈

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令狐 滈(れいこ こう、生没年不詳)は、唐代官僚本貫敦煌郡效穀県。一族は早くに宜州華原県に移り住んでいたので、華原の人とも言う。

経歴

会昌2年(842年)、科挙に応じたが、及第できなかった。大中13年(859年)、進士に及第した。試験に不正があったとして諫議大夫の崔瑄に弾劾され、取り調べを受けたが、無実とされた。長安県尉から集賢院校理となった。咸通2年(861年)、右拾遺・史館修撰に転じた。ほしいままに賄賂を受けていると、左拾遺の劉蛻や起居郎の張雲に弾劾されたが、重ねて上表して自ら嫌疑を晴らした。詹事府司直に転じた。令狐滈は人々に非難されることが多く、高位に上ることができなかった[1][2]

家族

令狐徳棻の末裔を自称していた。

脚注

伝記資料

参考文献

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