令狐滈 From Wikipedia, the free encyclopedia 令狐 滈(れいこ こう、生没年不詳)は、唐代の官僚。本貫は敦煌郡效穀県。一族は早くに宜州華原県に移り住んでいたので、華原の人とも言う。 経歴 会昌2年(842年)、科挙に応じたが、及第できなかった。大中13年(859年)、進士に及第した。試験に不正があったとして諫議大夫の崔瑄に弾劾され、取り調べを受けたが、無実とされた。長安県尉から集賢院校理となった。咸通2年(861年)、右拾遺・史館修撰に転じた。ほしいままに賄賂を受けていると、左拾遺の劉蛻や起居郎の張雲に弾劾されたが、重ねて上表して自ら嫌疑を晴らした。詹事府司直に転じた。令狐滈は人々に非難されることが多く、高位に上ることができなかった[1][2]。 家族 令狐徳棻の末裔を自称していた。 高祖父:令狐崇亮(昌明県令) 曾祖父:令狐承簡(太原府功曹参軍)[3] 祖父:令狐楚[4][5] 父:令狐綯[6][7] 弟:令狐渙(中書舎人) 弟:令狐渢[8][2] 脚注 [1]旧唐書 1975, pp. 4467–4468. [2]新唐書 1975, p. 5103. [3]旧唐書 1975, p. 4459. [4]旧唐書 1975, pp. 4459–4465. [5]新唐書 1975, pp. 5098–5101. [6]旧唐書 1975, pp. 4465–4467. [7]新唐書 1975, pp. 5101–5103. [8]旧唐書 1975, p. 4467. 伝記資料 『旧唐書』巻172 列伝第122 『新唐書』巻166 列伝第91 参考文献 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。 Related Articles