1925年、浮世絵師東洲斎写楽を単独のテーマとする日本初の単行本『写楽』(寫樂)を出版する。
著書や論文の中で仲田は「レンブラントやベラスケスに比肩すべき世界的肖像画家」として写楽を紹介した[1]が、後年に仲田の写楽評はドイツ人研究者ユリウス・クルトが1910年の著書『Sharaku』の中に書いた文章だと誤って引用されたことから、出典の検証がないままに伝聞にもとづく事実誤認の言説が広まったとされる。
著書や論文の中で仲田は写楽の正体を阿波の能役者春藤又左衛門とする説を発表したという説明が写楽関連の書籍などで多数引用されているが、実際には仲田は近年の話題として「徳島の新聞」の記事を採り上げただけであり、彼自身はこの報道に「これにも俄に賛成し得られない」と批判を加えている。[2]