元禄2年(1689年)6月11日(または元禄4年(1691年))、伊東祐信の子として生まれる。第5代藩主・伊東祐実の甥で養子・祐崇が病弱を理由に廃嫡された後、代わって養子となり、祐崇の娘を正室に迎え飫肥藩世嗣となる。
正徳4年(1714年)4月29日、養父・祐実の隠居により家督を継いだ。この頃になると藩財政が逼迫しており、享保3年(1718年)に祐永は厳しい倹約令を出すなどの藩政改革を行なったが、城下町で火事が起こって212戸を全焼するなどの大被害を受け、ますます財政悪化が進んだ。
元文4年(1739年)正月14日、51歳で死去。家督は9男・祐之が継いだ。