伊福部
古代日本の職業部および名代の民
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概要
職掌は、『日本三代実録』貞観4年6月15日条に、「播磨国揖保郡雅楽寮答笙無位伊福貞、本姓五百木部連に復す」とあり、「笛吹」の部であるといわれている。現在有力な説は、以下のようなものが存在する。
- 五百木部と同じで、景行天皇の皇子、五百城入彦皇子の名代の部。
- 息吹(伊吹、製鉄の際の踏鞴(たたら))に携わった部。伊福部氏の系図(因幡国伊福部臣古志、延暦3年頃成立)に、「若子臣」という人がいて、允恭天皇の時に祈禱して、気を飄風にかえたという伝承があり、稲葉国造族は製鉄氏族の物部氏と同族である。各務(鏡)や日野、金といった金属関係の地名にも関わる。
- 火吹(ひふき)が訛った部。雄略天皇3年4月に廬城部連枳莒喩と武彦親子の名があり[1]、武彦(たけひこ)は湯人(ゆえ)として朝廷に仕えていたわけことから湯を扱う下級官吏として、火吹部とする。分布状態からすると大規模過ぎる点が難である。
なお、五百木部と伊福部は混同されがちであるが、本来は名代の五百木部と鍛冶部の伊福部とは別物であったと考えられる[2]。
中央の伴造には、「伊福部連」があり、天武天皇13年12年宿禰姓を賜っている[3]。『新撰姓氏録』「左京神別」・「大和国神別」には「伊福部宿禰」を載せ、尾張連と同祖、火明命の後とする。「河内国神別」には「五百木部連」もある。
宮城十二門の一つ、殷富門(いんぷもん)の名前の由来にもなっている。伊福部の伴造氏は、連のほかに、臣・君・公などがあり、一族には「直」・首・君姓のものも存在した。