伊藤元利
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| 時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
|---|---|
| 生誕 | 天正5年(1577年) |
| 死没 | 慶安3年9月6日(1650年10月1日) |
| 改名 | 伊藤才松丸(幼名)→伊藤元利 |
| 別名 |
伊藤就忠 通称:六太夫→弥四郎→彦右衛門尉 |
| 官位 | 左近助、但馬守 |
| 主君 | 吉見広頼→広長→毛利秀就 |
| 藩 | 長州藩 |
| 氏族 | 清和源氏範頼流石見吉見氏庶流 伊藤氏 |
| 父母 | 父:伊藤頼時[1]、母:伊藤実信の娘[1] |
| 兄弟 | 元利、就安[2] |
| 妻 | 長嶺対馬守の娘[1] |
| 子 | 就之[2]、就起[2]、女(坂就辰室)[2] |
伊藤 元利(いとう もととし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。石見吉見氏の家臣で、後に毛利氏家臣・長州藩士となる。知行は300石。父は伊藤頼時。名は「伊藤就忠」とも。