伊藤謙司郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
| ||||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||
| フルネーム | Kenshirō Itō | |||||||||||
| 誕生日 | 1990年1月8日(36歳) | |||||||||||
| 出身地 |
北海道上川郡下川町 | |||||||||||
| 身長 | 180 cm | |||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||
| クラブ | 雪印メグミルク | |||||||||||
| 使用メーカー | スラットナー | |||||||||||
| ワールドカップ | ||||||||||||
| シーズン | 2006 - 2020年 | |||||||||||
| 優勝回数 | 0 | |||||||||||
| 他の表彰台 | 0 | |||||||||||
| 表彰台獲得数 | 0 | |||||||||||
| ||||||||||||
| 最終更新日:2020年3月18日 | ||||||||||||
スキージャンプの指導に力を入れている下川町に生まれる。元ジャンパーの父である伊藤敏光に影響を受け、5歳からジャンプを始めた。下川町立下川小学校、同下川中学校、下川商業高校を経て、2008年4月土屋ホーム入社。業績悪化による支援の縮小のため、 木下監督、伊東大貴とともに10月限りで退社。12月いっぱいまで支援を受けた後、木下監督、伊東とともに2009年1月1日からはサッポロスキッド名義で活動した(大会に出場するための暫定的な措置で、山田いずみ、渡瀬あゆみもサッポロスキッドの名義を借りていたことがある)。2月6日には木下監督、伊東と共に携帯ショッピングサイトを手がけるモバイルコンビニの支援を受けることが発表されたが、4月1日付で伊東と共に雪印乳業(現在の雪印メグミルク)に入社した[1]。
小学生の頃から数々の大会で優勝し将来を嘱望され、同い年の栃本翔平と多くの大会でタイトルを分け合ってきた。2000年夏、当時史上最年少の小学5年生にして初めて大倉山ジャンプ競技場を飛んだ[2]。この記録は2007年8月4日に下川小学校4年の伊藤将充が飛ぶまで破られなかった。
下川商業高校1年時のトリノオリンピックでジャンプ史上最年少の日本代表選手に選出されたが、出場機会がなかった。
2006/07年は、夏のコンチネンタルカップリレハンメル大会で1日目に優勝、2日目に2位に入賞し、冬のコンチネンタルカップロヴァニエミ大会で1日目に優勝、2日目に2位に入賞した。また全国高等学校スキー大会に優勝し、2007年ノルディックスキー世界選手権札幌大会では個人ノーマルヒルに出場して37位であった。
ノルディックスキージュニア世界選手権には2004年から2010年まで7大会連続で出場し、団体戦のメンバーとして2006年には銅メダル、2007年には銀メダルを獲得した。
2020年3月末に雪印メグミルクを退社し、現役続行を模索したが、新型コロナウイルスの感染拡大による競技環境の悪化により4月末までに続行を断念、現役を引退した[2]。土屋ホームスキー部事務局兼アシスタントコーチを経て[3]、2021年5月より[4]2023年3月まで[5]竹内択が立ち上げたteam takuのコーチを務めた。
