伊貸文秀

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-04-21) 1968年4月21日(57歳)[1]
身長
体重
182[1] cm
82[1] kg
投球・打席[1]投左[1]
伊貸 文秀
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-04-21) 1968年4月21日(57歳)[1]
身長
体重
182[1] cm
82[1] kg
選手情報
投球・打席[1]投左[1]
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト外
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊貸 文秀(いがし ともひで[2]1968年4月21日[1] - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手投手[3]。左投左打[1]

1987年から1989年までNPB中日ドラゴンズに在籍したが、一軍(セントラル・リーグ公式戦への出場機会がないまま現役を引退した。

亀高小学校第四砂町中学校を経て岩倉高等学校に進学した[4]。岩倉高校3年生だった1986年には夏の東東京大会[5]、5回戦まで進出したが、優勝した正則学園に敗れており、球界では無名の存在だった[6]

1987年2月17日以降[6]中日ドラゴンズ串間春季キャンプに合流[4]、テスト生として二軍の練習に参加、同年3月24日に入団が発表された[6][7]。左投手としての素質を買われ、入団テスト合格が発表されたものである[2]契約金1000万年俸320万円[6][7]背番号69[6][7]。同シーズンは二軍でも投手としての登板機会はなく、打者としてウエスタン・リーグ公式戦13試合に出場したが、打数は0だった[8]

1988年シーズンは年俸360万だった[9]。同年も実戦登板機会はなかった[9]

1989年シーズンは年俸370万円だった[9]。同年の春季キャンプ[注 1]中に白次謙二とともに任意引退選手となって支配下登録枠(当時60人)から外れ、練習生と同じ扱いになった[4]。その後は一軍の打撃投手を務めていたが、同年10月4日に白次とともに球団から戦力外通告を言い渡され[11]、同シーズン限りで現役を引退した[12]

選手としての特徴・人物

球速140 km/h速球[13]シュートが武器だった[6][7][3]。一方でプロ入り後は投球のバラつき、スタミナが課題とされていた[13]

また性格の明るさから、中日時代はチーム内で人気者になっていたという[4]。入団時には「中日が特に好きというのではないんです。ここしかなかったということです」「目標は怪童・尾崎のようになることです」と語っていた[6]。好みのタイプの女性には田中美佐子を、趣味には読書、歴史物を挙げていた[13]

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 69(1987年 - 1989年)[14]

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI