伊貸文秀
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亀高小学校、第四砂町中学校を経て岩倉高等学校に進学した[4]。岩倉高校3年生だった1986年には夏の東東京大会で[5]、5回戦まで進出したが、優勝した正則学園に敗れており、球界では無名の存在だった[6]。
1987年2月17日以降[6]、中日ドラゴンズの串間春季キャンプに合流[4]、テスト生として二軍の練習に参加、同年3月24日に入団が発表された[6][7]。左投手としての素質を買われ、入団テスト合格が発表されたものである[2]。契約金1000万円、年俸320万円[6][7]。背番号は69[6][7]。同シーズンは二軍でも投手としての登板機会はなく、打者としてウエスタン・リーグ公式戦13試合に出場したが、打数は0だった[8]。
1988年シーズンは年俸360万円だった[9]。同年も実戦登板機会はなかった[9]。
1989年シーズンは年俸370万円だった[9]。同年の春季キャンプ[注 1]中に白次謙二とともに任意引退選手となって支配下登録枠(当時60人)から外れ、練習生と同じ扱いになった[4]。その後は一軍の打撃投手を務めていたが、同年10月4日に白次とともに球団から戦力外通告を言い渡され[11]、同シーズン限りで現役を引退した[12]。