伊賀貞雪

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生年月日 (1922-11-14) 1922年11月14日(102歳)
出生地 愛媛県温泉郡北吉井村(後の同郡重信町、現:東温市
出身校 旧制愛媛県立松山商業学校
前職 愛媛県知事
愛媛県職員
伊賀 貞雪
生年月日 (1922-11-14) 1922年11月14日(102歳)
出生地 愛媛県温泉郡北吉井村(後の同郡重信町、現:東温市
出身校 旧制愛媛県立松山商業学校
前職 愛媛県知事
愛媛県職員
所属政党 無所属

当選回数 3回
在任期間 1987年1月28日 - 1999年1月27日
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伊賀 貞雪(いが さだゆき、1922年11月14日 - )は、日本政治家。元愛媛県知事(3期)。

1987年に初当選し、以後連続三選を果たす。1999年には四選を目指したが、反対派の推す新人の元文部省官僚加戸守行に敗れた。

愛媛県温泉郡北吉井村(後の同郡重信町、現:東温市)出身。旧制愛媛県立松山商業学校(現:愛媛県立松山商業高等学校)を卒業し、1946年に愛媛県庁に入庁。財政課長、出納長などの要職(県庁の本流の中の本流とされる財政畑)を歴任し、行政職としてキャリアを重ねた。白石春樹知事第3期の後半から副知事に就任し、白石が退任する第4期までの県政を支えた。

1987年(昭和62年)、白石の後継として指名を受け、愛媛県知事選挙に立候補し、県議会議員と知事の座を争ったが県議が急逝、結果的に事実上白石より禅譲を受ける形で(別の候補者がおり選挙自体は実施された)、知事の座についた。

生活文化県政

就任以来、生活優先と文化重視を基本理念とする「生活文化県政」を掲げた。1991年4月には全国初の「生活文化県宣言」を行った。ただ、えひめ瀬戸内リゾート開発構想第二国土軸構想の推進など、開発主体の流れは否めないところであった。

在任中に手がけた箱物としては、総合科学博物館歴史文化博物館県美術館、生涯学習センター、えひめこどもの城、テクノプラザ愛媛、アイテム愛媛、各種の公設試験研究場など多数あり、また国の景気対策もあって、道路整備にも注力したため、1990年代の前半の5年間に土木費が二倍に膨れ上がり、その後の県財政の悪化を招いた。

伊予テレビ(現:あいテレビ)、愛媛朝日テレビの開局にも尽力した。

白石前知事との確執

伊賀が1989年に制定した愛媛県章(第3代)

白石からの事実上の禅譲によりその地位に就いた伊賀であったが、就任後は次第に独自路線を模索、端的には白石色を薄めようと、様々な行動を起こし始める。

1989年、白石が定めた愛媛県章を廃止し、新たな県章を制定したことは象徴的な出来事だった。伊賀は2人の実力県議と連携を強めたが、逆に他の県議の反発を招いた。この時点では、反伊賀派は表立った行動に出られなかったが、その2人の実力県議が相次いで死去し、県議団は次第に押さえがきかなくなり、情勢は流動化する。

白石県政時には、口出しすることを避けていた国会議員の思惑なども複雑に絡み合い、ついに県議団は伊賀派と反伊賀派、独自の候補を擁立する3派に分裂した。県選出の国会議員も2派に割れた。

最後の知事選

職歴

受章歴

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