青木重臣
From Wikipedia, the free encyclopedia
長野県更級郡牧郷村(現:長野市)に青木善蔵の三男として生まれる[3]。第二高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、石川県警部となる[4]。
以後、麻布警察署長、六本木警察署長、深川警察署長、西平野警察署長、関東局警務課長、同特別高等警察課長、同警察官教習所長、満州国治安部特務科長、福井県書記官・警察部長、内務事務官、厚生省監理課長、情報局第一部第二課長、首相秘書官、内務省監査官、千葉県書記官・警察部長などを経て、福島県内政部長に就任[3]。広島県部長・警察部長であった1945年6月に地方総監府制度が発足したため、同月10日、中国地方総監府勅任参事官兼第一部長に就任[5]。8月6日の原爆投下では重傷を負うが、奇跡的に助かっている[6]。
1946年10月、愛媛県知事に任官。翌1947年3月に退官し、4月の第1回愛媛県知事選挙に出馬して当選[3]。次の1951年の知事選にも出馬したが、参議院議員から転身した久松定武に敗れて落選した。