伊達村好
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宝暦5年(1755年)、亘理伊達家第7代当主・伊達村実の次男として生まれる。幼名は英之介。
明和4年(1767年)2月、亘理伊達家第8代当主の兄村純が隠居し、嫡子兵力がまだ幼いため、中継養子として家督を相続し亘理邑主となる。同年3月、藩主伊達重村の加冠により仙台城で元服し、偏諱を受けて村好と名乗る。
安永2年(1773年)、藩政混乱を招いた「葛西川島事件」が起こり、同年閏3月、騒動の裁決を藩主重村に任された叔父伊達村良により、騒動の首謀者の奉行(家老)川島行信、若老葛西清胤等が知行召上、一門の村好も隠居を命じられた。養子の兵力(村氏)に家督を譲り、世雲と号した。正室はおらず、19歳で隠居した後に、侍女だった西屋徳兵衛(商人)の娘を側室とする。安永5年(1777年)次男広三郎(資氏)が誕生するなど、四男二女を儲けた。