伊達義広 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 鎌倉時代前期生誕 文治元年(1185年)死没 建長8年9月23日(1256年10月12日)または建長3年(1251年)別名 粟野次郎、入道覚仏 凡例伊達義広時代 鎌倉時代前期生誕 文治元年(1185年)死没 建長8年9月23日(1256年10月12日)または建長3年(1251年)別名 粟野次郎、入道覚仏諡号 覚仏公戒名 覚仏官位 蔵人大夫、従五位下幕府 鎌倉幕府父母 父:伊達宗村兄弟 時綱、義広子 政依テンプレートを表示 伊達 義広(だて よしひろ、旧字体: 伊達󠄁 義廣)は、鎌倉時代前期の御家人。通称は粟野次郎、入道覚佛。官位は蔵人大夫、従五位下。伊達氏3代当主。 伊達宗村の次男。初代朝宗、2代宗村の頃まで、居城は伊達郡桑折郷の高子岡に築かれていたが、義広の代になって桑折郷の栗野大館(現福島県伊達市梁川町粟野)に居城を移したとされている。 祖父・朝宗、父・宗村双方の偏諱である「宗」の字が入っていないが、年代的に見て「義」の字は鎌倉幕府2代執権・北条義時から賜ったものと思われる[注釈 1]。 承久3年(1221年)、承久の乱に家臣の原田某を遣わし、義時の子・北条泰時に従い宇治勢力と戦っている。 卒年は定かではなく、『伊佐早文書』では建長3年(1251年)、『伊達系図』では康元元年(1256年)9月23日[注釈 2]となっている。 伊達氏は伊達郡の地頭職に就いていたが、他にも出雲国・但馬国に地頭職を持っていた。これを継承したのが義広の兄である修理亮時綱で、但馬伊達氏・出雲伊達氏の始祖となった。 脚注 注釈 [脚注の使い方] ↑ また、義広の祖父・伊達朝宗の母は、源為義の娘なので、伊達朝宗は、為義の孫で、義広は、頼朝の孫、公暁の従兄弟にあたる。また、伊達政宗公の先祖とも。今のところ確証はないが、兄の時綱が北条氏の通字である「時」の字を使用している(賜っている)ことから可能性は高い。 ↑ 実際には、この日付の時にはまだ建長年間である(10月5日に改元)。 出典 [脚注の使い方] 関連作品 政宗ダテニクル(声:梅原裕一郎)2016年のアニメ作品および2021年の劇場アニメ作品。福島県伊達市のご当地アニメとしてガイナが制作。 表話編歴伊達宗家当主平安末〜鎌倉時代 朝宗 - 宗村 - 義広 - 政依 - 宗綱 - 基宗 - 行宗 南北朝〜室町時代 宗遠 - 政宗 - 氏宗 - 持宗 - 成宗 - 尚宗 - 稙宗 - 晴宗 - 輝宗 江戸時代(仙台藩主) 政宗 - 忠宗 - 綱宗 - 綱村 - 吉村 - 宗村 - 重村 - 斉村 - 周宗 - 斉宗 - 斉義 - 斉邦 - 慶邦 - 宗基 明治時代以降 邦宗 - 興宗 - 貞宗 - 泰宗 Related Articles