伊達宗遠 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 南北朝時代生誕 正中元年(1324年)死没 元中2年/至徳2年5月20日(1385年6月28日)諡号 定叟公 凡例伊達宗遠時代 南北朝時代生誕 正中元年(1324年)死没 元中2年/至徳2年5月20日(1385年6月28日)諡号 定叟公戒名 定叟官位 従五位下弾正少弼氏族 伊達氏父母 伊達行朝、田村氏娘・静照院兄弟 宗遠、行資妻 結城宗広娘・高明院子 政宗、大條宗行、最上直家正室花押 テンプレートを表示 伊達 宗遠(だて むねとお)は、南北朝時代の武将。官位は従五位下・弾正少弼。伊達氏8代当主。 天授6年/康暦2年(1380年)頃から長井氏を攻め立てた。宗遠は周辺各氏との一揆契約や騙し討ちなどの謀略を駆使し、長井氏を確実に切り崩していった。結局元中2年/至徳2年(1385年)には長井氏は滅亡し、伊達氏は米沢を手に入れる事になった。 天授7年/康暦3年(1381年)には大崎氏と戦い信夫郡・刈田郡・伊具郡・柴田郡を奪い、また、武石行胤を破り亘理郡も実質的な支配下に組み入れている。 この時代には小沢氏、余目氏などと一揆契約を結んでいる。また、米沢の成島八幡宮の拝殿を改築している。 宗遠の子・宗行は大條氏(大枝)[1]の祖となった。 系譜 父:伊達行朝(1291年-1348年) 母:静照院 - 田村氏 正室:高明院 - 結城宗広の娘、最上氏との異説もあり 男子:伊達政宗(1358年-1405年) 生母不明の子女 男子:大條宗行 - 大枝宗行 女子:最上直家室 男子:伊達遠賢 - 『永禄伊達系図』にのみ記載あり 系譜の疑問点 伊達氏初期系図には色々と差異が生じていたり、同時代の史料と食い違う部分も見られる。 行宗-宗遠の場合、1348年の『奥州管領吉良貞家の書状』の中に「伊達宮内大輔行朝者死去、子息万寿丸幼稚代官伊達修理亮宗政」とみえ、また宗遠の初見は1342年の『五辻顕尚の書状』の中の伊達飛騨前司とある為、宗遠は行宗(行朝)の子息で無い可能性も指摘されている[2]。 1377年に伊達宗政(修理亮)が留守持家と一揆を結んだとの史料(一揆契約の書状)もあり、修理亮宗政と宗遠が同時代の人であることがわかる。 脚注 ↑ 大條氏本家は明治期に伊達に復姓している。お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおや声優ユニット・Liella!の伊達さゆりはその末裔にあたる。 ↑ 小林清治『東昌寺と陸奥安国寺』、『伊達政宗のすべて』(新人物往来社) 表話編歴伊達宗家8代当主平安末〜鎌倉時代 朝宗 - 宗村 - 義広 - 政依 - 宗綱 - 基宗 - 行宗 南北朝〜室町時代 宗遠 - 政宗 - 氏宗 - 持宗 - 成宗 - 尚宗 - 稙宗 - 晴宗 - 輝宗 江戸時代(仙台藩主) 政宗 - 忠宗 - 綱宗 - 綱村 - 吉村 - 宗村 - 重村 - 斉村 - 周宗 - 斉宗 - 斉義 - 斉邦 - 慶邦 - 宗基 明治時代以降 邦宗 - 興宗 - 貞宗 - 泰宗 Related Articles