佐志能神社 (石岡市染谷)

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所在地 茨城県石岡市染谷1856番地
位置 北緯36度12分52.6秒 東経140度14分16.1秒 / 北緯36.214611度 東経140.237806度 / 36.214611; 140.237806
主祭神 豊城入彦命
社格 式内社(小)論社
郷社
佐志能神社(染谷)

拝殿
所在地 茨城県石岡市染谷1856番地
位置 北緯36度12分52.6秒 東経140度14分16.1秒 / 北緯36.214611度 東経140.237806度 / 36.214611; 140.237806
主祭神 豊城入彦命
社格 式内社(小)論社
郷社
創建 不詳
別名 竜神さん
龍神社(龍神宮)
染谷佐志能神社
例祭 4月19日
主な神事 染谷十二座神楽
地図
佐志能神社の位置(茨城県内)
佐志能神社
佐志能神社
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佐志能神社(村上)

拝殿
所在地 茨城県石岡市村上494番地
位置 北緯36度13分3.3秒 東経140度14分25.2秒 / 北緯36.217583度 東経140.240333度 / 36.217583; 140.240333
主祭神 豊城入彦命
村上大神
社格 式内社(小)論社
無格社
創建 不詳
別名 村上龍神社
村上佐志能神社
例祭 4月19日
地図
佐志能神社の位置(茨城県内)
佐志能神社
佐志能神社
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佐志能神社(さしのじんじゃ)は、茨城県石岡市染谷にある神社。竜神山に鎮座することから、江戸時代龍神社龍神宮)と呼ばれていた。現在は「竜神さん」[1] と親しまれているほか、染谷佐志能神社と呼ぶことがある。『日本三代実録』の「村上神」及び「延喜式神名帳」の「佐志能神社」の論社である。旧社格は郷社。

茨城県内には式内佐志能神社の論社が4社あり、いずれも佐志能神社を称している。このうち、石岡市染谷と同市村上の佐志能神社は、ともに竜神山に鎮座する神社として関係が深く、「村上神」及び「龍神社」としては歴史が重なる部分もある。

染谷佐志能神社と村上佐志能神社は、竜神山(龍神山)[2] の東面の南北に鎮座する。染谷社は南峰の山腹(標高約85メートル)にあり、村上社は北峰の山麓(標高約70メートル)にある。両社の沿革については諸説あるが、竜神山にあって龗神(淤加美神)二座を祀り分けることから、今日、二社一対の神社と認識されている[3]

染谷社の参道が伸びる山麓以南に「龍神の森」と呼ばれる森林があり、宮平遺跡、金山池、常陸風土記の丘、鹿の子史跡公園、龍神の森キャンプ場等がある。常陸風土記の丘は桜の名所としても知られている。

境内は鬱蒼とした木々に覆われており昼間でも薄暗く、社殿までは急勾配の坂と石段が続く。一方、村上社は村上集落の奥深く、採石場との境界近くにひっそりと建っている。

祭神

主神
豊城入彦命
配祀
高龗神
国常立尊大国主命少彦名命国狭槌命豊斟渟命猿田彦命金山彦命天日鷲命武甕槌命
  • 『茨城県神社写真帳』に下記の神社整理の記録がある。高龗神以外の配神9柱は、合併した神社の祭神である。
    • 明治43年10月(1909年)、石岡町の御嶽神社(国常立尊、大国主命、少彦名命)及び境内社八溝山神社(国狭槌命)、三笠山神社(豊斟渟命)、道祖神社(猿田彦命)、金刀比羅神社(金山彦命)。すべて無格社
    • 大正元年12月(1912年)、鷲宮神社(天日鷲命)。無格社。
    • 大正3年12月(1914年)、志筑村高倉の鹿島神社(武甕槌命)。村社
  • 村上社の主神は豊城入彦命村上大神、配神は日本武尊闇龗神である。

境内社

神武天皇社(神倭磐余毘古命)と大杉神社(大物主命)の2社がある[4][5]

祭礼

例祭日は両社ともに4月19日である。

染谷社では里神楽「染谷十二座神楽」(石岡市指定有形民俗文化財)が奉納される。文献資料が残っていないため起源は不詳だが、江戸時代に石岡市根小屋の七大天神社の十二座神楽が伝播して成立したものという考察がある[6]

祭神について

祭神は茨城県神社庁新治支部の神社データベース「神羅」に依拠したが、資料によって混乱がある。

資料名発行年祭神配神村上社の祭神
新治郡一覧1902年日本武尊、高龗神
新治郡案内1911年日本武尊
石岡誌1911年豊城入彦命、高龗神豊城入彦命、高龗神
府県郷社明治神社誌料1912年日本武尊、高龗神記載あり
新治郡郷土史1925年豊城入彦命、高龗神豊城入彦命、高龗神
茨城県神社写真帳1942年日本武尊、高龗神記載あり
境内案内板1985年高龗神(雌龍)闇龗神(雄龍)
神社データベース「神羅」1992年豊城入彦命記載あり豊城入彦命、村上大神
石岡市観光協会2014年豊城入彦命、高龗神日本武尊、闇龗神
石岡市の歴史の記憶2014年豊城入彦命、高龗神日本武尊、闇龗神

明治初期に編纂された地誌には、具体的な神名は記載されていない。

府県郷社明治神社誌料』と『茨城県神社写真帳』は、『神社明細帳』を出典として明記しているため、戦前までの公的な記録では、主神は日本武尊と高龗神の2柱であったと考えられる。一方、明治中期以降の複数の地誌には、日本武尊ではなく、豊城入彦命を主神と記載するものがある。複数の伝承が存在していたとも、式内佐志能神社に関わる論争の影響とも考えられる。

神社整理による合併を除けば、おおよそ龗神と日本武尊又は豊城入彦命の2柱を祀る神社として認識されていたことが分かる。現在は豊城入彦命は主神、高龗神は配神になっている。

由緒

脚注

参考文献

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