佐藤秀樹 (技術者)
日本の技術者、経営者 (1950-2026)
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来歴・人物
北海道出身[1][5]。芦別で生まれたが、父親の仕事の都合で小学生のころまでは引っ越しを繰り返し、空知郡内を転々とした[6]。中学1年生の時に東京に引っ越し、八王子市立第七中学校に転校する[6]。中学卒業後は都立日野高校の1期生として入学した[7]。
東京都立工業短期大学卒業後の進路は就職を考えておらず、青年海外協力隊に応募するも落選。既に卒業直前の1971年3月下旬という中、事前連絡もせず、何も書類も持たずに飛び込みでセガ・エンタープライゼス(現在のセガ)を訪問したところ幸運にも対応してもらえ、1名欠員していた事情もあり、即日採用される[7]。4月に同社への入社に至る[5]。開発部門に属し、1983年に家庭用ゲーム機であるSG-1000とSC-3000を手掛ける。以降、ドリームキャストまでのセガの全ての家庭用ゲーム機の設計に携わった[1][8]。
1989年9月に取締役に就任し、1994年6月に常務、2000年6月に専務を経て、同年11月に副社長(COO[9])に就任し、2001年3月には社長に昇格[5][10]。サミーとの経営統合の白紙撤回など経営の迷走が続き、経営責任を取って任期途中で社長を交代することになり、2003年6月に代表権のない会長に退いた[11][12]。翌2004年2月に副会長となったのち[2]、同年6月に退任した[13]。退任後はセガトイズ取締役とトムス・エンタテインメント取締役を兼任したのち、2005年6月にセガ・ミュージック・ネットワークス代表取締役に就任[2]。
2007年7月に就任したレグルスの取締役副社長を経て[2]、2008年11月よりアドバンスクリエートという会社の社長を務めていた[1][2]。同社とはゲームとは関係なく、LED照明や非常用電源装置の開発などを手掛ける企業である[14]。
2026年2月13日に死去した[15][16]。75歳没。訃報は2月14日にWebゲームマガジン『Beep21』のXアカウントで報告された[3][17]のち、同月16日にはセガ公式アカウントでも報告された[18][19]。