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佐賀県立小城高等学校

佐賀県小城市にある高等学校 From Wikipedia, the free encyclopedia

佐賀県立小城高等学校(さがけんりつおぎこうとうがっこう, : Saga Prefectural Ogi High School)は、佐賀県小城市小城町に所在する県立高等学校。略称は「小城高(おぎこう)」。別名「黄城(おうじょう)」[1]

国公私立の別 公立学校
設置者 佐賀県の旗佐賀県
学区 東部学区
併合学校 佐賀県立小城中学校
佐賀県立小城高等女学校
概要 佐賀県立小城高等学校, 国公私立の別 ...
佐賀県立小城高等学校
北緯33度17分32.6秒 東経130度11分49.2秒
国公私立の別 公立学校
設置者 佐賀県の旗佐賀県
学区 東部学区
併合学校 佐賀県立小城中学校
佐賀県立小城高等女学校
校訓 創意・挑戦・誠実
設立年月日 1899年4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D141290000072 ウィキデータを編集
高校コード 41108G
所在地 845-0001
佐賀県小城市小城町176
外部リンク 佐賀県立小城高等学校
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佐賀県立小城高等学校の位置(佐賀県内)
佐賀県立小城高等学校

設置学科

概要

歴史
1899年明治32年)に創立した「旧制佐賀県立小城中学校」(男子校)と1908年(明治41年)に創立した「佐賀県立小城高等女学校」を前身とする。1948年昭和23年)の学制改革で統合され、「佐賀県立小城高等学校」(新制高等学校)となった。創立年は旧制・小城中学校の創立年1899年(明治32年)をもとに数えられており、2009年平成21年)に創立110周年、2019年平成31年)に創立120周年を迎えた。
校訓
  • 「創意」 (Originality)
  • 「挑戦」 (Great Challenge)
  • 「誠実」 (Integrity)
    • それぞれの英語の頭文字を合わせると「OGI」(小城)となる。
スクールアイデンティティー
「オンリーワンを見つけ、育てる小城高校」
校章
の花を背景に「高」の文字(旧字体)を配している[2]
旧校章
  • 旧制・小城中学校 - 桜の花を背景に「中」の文字を配している。
  • 小城高等女学校 - 二重丸の中に桜の花を置き、「小城」の文字(縦書き)を配している。
校歌
作詞は林学水、作曲は信時潔による。1950年(昭和25年)3月に制定。歌詞は3番まであり、3番に学校名を表す「黄城」が登場する。同窓会のウェブサイトで下記の旧校歌とともに、歌詞が閲覧できる[3]
旧校歌
  • 旧制・小城中学校 - タイトルは「窓べに仰ぐ天山の」。作詞は小城中学校、校閲は佐々木信綱、作曲は弘田竜太郎による。1939年(昭和14年)5月に制定。歌詞は4番まである。
  • 小城高等女学校 - タイトルは「天山のみ山たふとみ」。作詞は森鷹一、作曲は保田正による。1937年(昭和12年)12月に制定。歌詞は3番まである。
他の歌
  • 「應援(応援)歌」 - 3番まであり、各番とも「いざ闘わん小城高 かがやく小城高」で終わる。
  • 「精鋭歌」 - 2番まであり、両番とも「我らが精鋭小城高健児」で終わる。
  • 「必勝の踊り」 - 2番まであり、両番とも「勝つ勝つ小城高きっと勝つ」で終わる。
  • 「小城高音頭(エッサッサー)」 - 3番まであり、各番とも「サノエ〜サノエ〜サノエッサッサ〜」で終わる。
校地
校地面積は6万km2で、佐賀県立の高等学校の中で2番目の広さである[4]
同窓会
学校の別名にちなみ、「黄城会」と称する。

沿革

旧制中学校(男子校)
  • 1899年(明治32年)4月1日 - 「佐賀県立第一中学校小城分校」として創立。(創立年)入学者数は102名。小城町役場の一部を間借りし、授業を開始。
  • 1900年(明治33年)4月 - 小城町岩松村晴田村三里村の寄付で、旧小城藩主邸跡(現在地)に校舎の一部が完成し移転。
  • 1901年(明治34年)6月- 「佐賀県立佐賀中学校[5]小城分校」と改称。
  • 1902年(明治35年)
    • 4月1日 - 佐賀中学校から独立し、「佐賀県立小城中学校」(旧制)と改称。
    • 6月 - 初代校長に瀬川彦四郎が就任。校章(桜の花に「中」の文字)を制定。
  • 1905年(明治38年)8月 - 同窓会組織「黄城会」が結成。
  • 1939年(昭和14年)5月 - 校歌「窓べに仰ぐ天山の」を制定。
高等女学校
  • 1908年(明治41年)1月4日 - 「小城町四ヵ村組合立小城女学校」が開校。修業年限を本科2年、別科1年、研究科1年とする。初代校長には五郎川一郎が就任。
  • 1914年大正3年)4月 - 「小城町外五ヵ村学校組合立小城実科女学校」と改称。
  • 1919年(大正8年)- 「小城町外六ヵ村学校組合立小城実科女学校」と改称。
  • 1921年(大正10年)4月 - 「組合立小城高等女学校」と改称。
  • 1924年(大正13年)4月 - 移管により、「佐賀県立小城高等女学校」と改称。
  • 1937年(昭和12年)12月 - 校歌「天山のみ山たふとみ」を制定。
  • 1938年(昭和13年)8月 - 「樟彰館」(同窓会館)が完成。
  • 1939年(昭和14年)7月 - 創立25周年を記念し、茶園(4反歩)を二瀬川に造成。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革に伴い、旧制・小城中学校と小城高等女学校を統合し、「佐賀県立小城高等学校」(現校名、新制高等学校)が開校。
    • 旧制・中学校を第一部、旧高等女学校を第二部と称し、当初は男女別学を行う。生徒定員は全日制普通課程を1,200名、定時制普通課程を100名とする。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 2部制(男女別学)を廃止し、全面的に統合。男女共学となる。
  • 1950年(昭和25年)3月 - 校歌を制定。
  • 1953年(昭和28年)- 牛津分校(定時制)を開校。(入学者数1,660名)
  • 1954年(昭和29年)- 多久分校(定時制)[6]を開校。(入学者数1,910名)
  • 1957年(昭和32年)4月 - 本校定時制の家庭課程の生徒募集を停止し、全日制家庭課程の募集人員を90名とする。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 牛津分校が佐賀県立牛津高等学校として分離・独立。
  • 1964年(昭和39年)4月 - 家庭科の生徒募集を停止し、普通科のみとなる。
  • 1965年(昭和40年)9月 - 体育館が完成。
  • 1966年(昭和41年)3月1日 - 多久分校を閉校する。
  • 1967年(昭和42年)3月 - 武道館が完成。
  • 1967年(昭和42年)9月9日 - 柔道部員6名が、1年生部員1名に殴る蹴るなどの暴行を加え、顔面挫傷、脳震盪等を負わせた傷害事件が発生[7]
  • 1969年(昭和44年)3月28日 - 図書館が完成。
  • 1972年(昭和47年)3月31日 - プール(50m・9コース)が完成。
  • 1988年(昭和63年)- 本校の定時制を閉校する。
  • 1989年平成元年)9月 - 黄城教育会館が完成。「樟彰館」(同窓会館)を解体。
  • 1993年(平成5年)4月 - 制服改定。この時の入学生より森英恵デザインの新制服を着用。
  • 1994年(平成6年)3月 - 旧多久分校校舎(市消防庁舎)を解体。
  • 1998年(平成10年)7月 - イギリスの旗英国ラグビー校研修派遣を開始。
  • 1999年(平成11年)
    • 5月 - 校訓碑が完成。
    • 10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 2001年(平成13年)2月 - 推薦入試を開始。
    • 3月-図書館ギャラリー整備
  • 2002年(平成14年)- 文部科学省・佐賀県教育委員会指定 高等学校「教育課程」研究校委嘱
    • 5月- 教育棟空調設備完備
  • 2003年(平成15年) 4月 - 生徒定員920名
  • 2004年(平成16年) 4月 - 生徒定員880名
  • 2005年(平成17年) 4月 - 生徒定員840名
  • 2007年(平成19年) 4月 - 生徒定員800名
  • 2008年(平成20年) 4月 - 生徒定員760名
  • 2009年(平成21年) 1月9日 - ユニバーサルデザイン化工事
    • 3月6日 - [管理棟・図書館棟耐震改修工事
    • 4月1日 - 生徒定員720名
    • 10月 - 創立110周年記念式典
  • 2012年(平成24年)3月 - 体育館耐震改修工事
  • 2013年(平成25年)3月 - 芸術棟耐震改修工事
  • 2015年(平成27年)9月 - 教室棟改築工事
  • 2019年(平成31年)4月 - 生徒定員680名
  • 2020年令和2年)4月 - 生徒定員640名
  • 2021年 (令和3年)4月 - 生徒定員600名予定

年間行事

1学期
  • 4月 - 始業式、入学式、開校記念天山登山
  • 5月 - 黄城会総会、中間考査
  • 6月 - 高校総体、期末考査
  • 7月 - クラスマッチ、三者面談、終業式、夏季特課(補習)
  • 8月前半 - 夏期特課(補習)、体験入学
2学期
  • 8月後半 - 始業式
  • 9月 - 小城高祭(体育祭・文化祭)
  • 10月 - オンリーワン発表会、中間考査
  • 11月 - 期末考査
  • 12月 - クラスマッチ、三者面談、終業式、冬季特課(補習)
3学期
  • 1月 - 始業式、百人一首カルタ大会、修学旅行、耐寒訓練
  • 2月 - 高校入試(特別選抜)学年末考査
  • 3月 - 卒業式、高校入試(一般選抜)、終業式

部活動

運動部
文化部

著名な出身者

政財界
学術
その他

楠・絵画

『朝日』/画・青木繁、所有・黄城会、寄託先・佐賀県立美術館

敷地内の校門に近いところ[8]には、樹高約26メートル、枝張りの幅約33メートル、目通り幹回り7.8メートルのクスノキの巨樹がある[9] [注釈 1][10]。樹齢は推定300年以上[11]、伝承では600年ほどと伝えられている[9]。幹は真っ直ぐに伸びており[10]、根元には40センチほどの角型の石が3つ巻き込まれたように食い込んでいる[12]。このクスノキはかつての小城藩邸(陣屋)の城門のそばに位置し、元和2年(1616年)鍋島元茂の代の築城当時からあったとされていて、『小城郡誌』によれば食い込んだ石は石垣から取り込まれたものと考えられている[10][12][13]

この場所が県立小城高等女学校敷地だった1928年(昭和3年)3月24日、「小城の樟」の名称で旧制度下の国の第二類天然記念物に指定された[注釈 2]。地方的なクスノキの巨樹として、かつ旧城館を偲ばせる記念物としての価値が根拠となっていた。しかし、戦後の第二類指定物件の一斉見直しにより、都道府県単位の指定が望ましい物件として、1956年1月に指定が解除されている[10][12][13][14]

また、小城高等学校同窓会である黄城会は、青木繁が晩年の1910年(28歳のとき)に制作した絵画『朝日』を所有している。当時療養中であった青木は、美術学校の先輩で旧制小城中学校の美術教師の平島信を頼って小城に一時滞在し、その後平島や小城中校長の国井清音の援助で唐津に移り静養した。この好意に報いる形で『朝日』は国井らに贈られ、黄城会の所有となった。なお、絵は現在佐賀県立美術館に寄託されており、高校内では模写が会議室に飾られている[8][15]

舞台となった作品

アクセス

最寄りの駅
最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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