佐野王子 (泉佐野市)

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佐野王子跡比定地(大阪府泉佐野市上町 1丁目)

佐野王子(さのおうじ、さののおうじ)は九十九王子の17番目。1201年(建仁元年)、『後鳥羽院熊野御幸記』初出。1908年(明治41年)春日神社泉佐野市春日町)に合祀され廃絶[1][2]47年昭和22年)王子跡が府史跡に指定[3][4]

鎌倉時代である1201年(建仁元年)10月7日、後鳥羽上皇が、第4回目の熊野参詣で藤原定家らとともにこの王子(サ野王子)を参詣していることが、藤原定家の『明月記』の別記、『後鳥羽院熊野御幸記』に記されている[3][4]。以下がその1節である。

…晝御宿此野鶴子云々、參サ野王子、次參籾(初)井王子、…『後鳥羽院熊野御幸記』

また、室町時代である1473年(文明5年)の『九十九王子記』には佐野王子の名でこの王子が記されている[5]

1906年(明治39年)6月に、佐野村役場から郡役所へ「郷社以下ノ例祭日」の報告がされており、その中で佐野王子神社含む17社[注 1]の例祭日が7月25日であるとして報告された[6]

1907年(明治40年)8月、佐野村に『神饌幣帛料供進社上申書』に関する通牒があり、同村から佐野王子神社含む計18ヵ所の村社[注 2]に、氏子総代の出席が求められた。その時に、『神社合併届』が泉南郡長に提出されたものと考察[6]されている。

1908年(明治41年)1月9日、神仏合祀により春日神社坂口町、現泉佐野市春日町)に合祀され、廃絶する[1][2]。同年6月16日、17日の2日間、合祀先の春日神社にて遷座祭が行われ、佐野王子神社含む6社[注 3]は1日目の午後5時より執り行われた[6]。遷座行列の順は、松明二人(高張)→大麻→塩水→辛真榊→伶人→鳳輩→押へで、田島左京神掌とその他3人、12人の人足で構成された[6]。遷座祭には、佐野村長の小川種治郎[6]助役の田端義一[6]収入役の沢野七与茂[6]、2人の書記、4人の「議員中ノ委員」、3人の議員、佐野王子神社含む各6社の氏子総代それぞれ1人が参加した。[6]

また同月、春日神社社掌の田島左京、氏子総代、佐野村長の小川種治郎[6]の連名で、春日神社に合祀した各社の旧跡地を基本財産として一括同神社に譲るよう求める『官有地元神社境内地無代譲与願』が大阪府知事の左藤義詮[7]に提出された。同年11月29日付で許可され、佐野王子神社含む11社の旧社地[注 4]春日神社に譲られた。譲られた11社の旧社地のうち一部は売却されて、春日神社の維持費に充てられた[8]が、佐野王子神社跡はその後現在も春日神社が所有[4]している。

合祀後は廃跡[9]となり、長らく空き地となった[1]。また、春日神社の境内にある松の大木の根元に石祠が置かれていた。

1945年(昭和20年)4月、現在の比定地に顕彰碑が建てられた。さらに2年後の1947年(昭和22年)4月9日に大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則により、記念物、史跡として大阪府指定文化財に指定[3][4]された。

佐野王子神社(廃絶)

佐野王子神社(廃絶)
所在地 田出 今王子
(現泉佐野市上町1丁目付近)
主祭神 後白河天皇
社格 村社(最終)
創建 1201年(建仁元年)10月7日以前
別名 佐野王子
例祭 07月25日
地図
佐野王子の位置(大阪府内)
佐野王子
佐野王子
佐野王子 (大阪府)
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石祠を安置[3]しており、祭神として、後白河天皇、後鳥羽天皇[2]を奉祀[3]していた。また、熊野八王子御前も奉祀[8]していた。それらに加え、大宮神社(現奈加美神社、泉佐野市中庄)より、大引分神社(おびかき)・中宮神社・射手弦神社・西村神社(にしのむら)が、大引分神社より新引分神社(しかびき)が、西村神社より今村神社(いまむら)がそれぞれ分祀されていたことが、大宮神社由緒書に記録されている[2]

1906年(明治39年)6月の佐野村役場から郡役所への報告では、7月25日が例祭日とされている[6]

当時は旧田出村字今王子の西に位置[10]していた。

佐野王子跡(現比定地)

石碑 写真提供:泉佐野市教育委員会
佐野王子 説明板(春日神社・府教委)

大阪府内の熊野九十九王子跡で、大阪府指定文化財に指定されているものは、厩戸王子跡泉南市、当市南部隣接)と、池田王子跡岸和田市)、佐野王子跡の計3ヵ所しか存在しない[5]。また、熊野九十九王子跡が市区町村で史跡として指定された例はない[5]。これらの点では、佐野王子跡も貴重な王子跡[5]である。

大阪府内の王子跡では珍しく、広めの三角地の公園となっている。堺-泉佐野間の王子跡で最も敷地が広い[11]。中心部に大きく立派な黒色系の石でできた石碑が建てられている[11]ウバメガシの生垣が周囲を囲み、桜の木が二本[11]植えられている。内外に、泉佐野観光ボランティア協会作成の看板[12]が複数設置[13][14]されている。

入口周辺には、大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則第4条により、春日神社大阪府教育委員会の説明板が設置されており、概ね石碑の裏に刻まれている内容と等しい[15]。設置後、年月が経つにつれて説明文の文字が消えつつあった[15]

付近には、大阪府営泉佐野上町住宅(1丁目12-101)がある。なお、度々目印にされてきた十字路のたばこ屋「川出商店」(大阪府泉佐野市中庄1747-7、現1747-4付近)[16][17][18]は、一度駐車場になった[19]後現在民家となり[20]、付近の自動販売機[16]も現在存在しない[20]

沿革

  • 泉南郡佐野町(1945年(昭和20年)4月~1947年(昭和22年)4月9日頃)
  • 泉南郡佐野町中庄(1947年(昭和22年)4月9日、大阪府指定文化財指定日時点)[6]
  • 佐野市(1948年(昭和23年)4月1日、即日改称)
  • 泉佐野市(1948年(昭和23年)4月1日~1949年(昭和24年3月31日)[6]
  • 泉佐野市上町(1949年(昭和24年)4月1日~)[6]

現所在地

GoogleMapsやその他サイト、近年出版の本では住居表示後の上町1丁目12を指すことがあるが、あくまで佐野王子跡の固有の住所でないため、注意が必要である。

王子跡の所在地考定

当時は旧田出村字今王子の西に位置[10]していたとされる。

泉佐野市の見解

柴田 実、1958、『泉佐野市史』、泉佐野市 では、あくまで史跡を表す石碑があるだけで、確実に比定することはできないなどと否定的な立場を取っていた[9][16]が、1960(昭和40年)時点、同市文化財研究評議会編の目録内では、この地を佐野王子跡と比定[9][21]している。

現在も文化財関連の報告等ではこの地を佐野王子跡比定地としている[16]

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Maps: terms of use
1.5 km
佐野王子 (泉佐野市)
8
alt=南海バス 上町1丁目
7
alt=南海バス 天神山口
6
alt=南海バス 泉佐野市役所前
5
市営バス 職業安定所前(最寄り停留所)
R
4
JR日根野駅
R
3
JR熊取駅
南海本線
2
南海井原里駅
南海本線
1
南海泉佐野駅(最寄り駅)

アクセス

駅一覧

停留所一覧

なお、昔最寄り停留所で王子跡から熊野古道沿いに200mほどの位置にあった、南海バス田出停留所[9][17][注 5]は現在存在しない[33]

参考文献

脚注

関連項目

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