佟図頼
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生涯
先祖は女真人であり、代々トゥンギャ(佟佳)に居住し、土地の名を氏とした。佟氏一族は強く漢化していた。天聡5年(1631年)、ホンタイジに従い大凌河へ出征し、戦功により二等車都尉に進んだ。崇徳3年(1638年)、兵部右参政に任ぜられた。崇徳5年、睿親王ドルゴンに従い錦州を包囲し、白官児屯台を攻略した。6年には鄭親王ジルガランに従い再び錦州を包囲し、金塔口三台を奪取した。7年には松山城を攻め、一等軽車都尉に進んだ[1]。
康熙年間、娘の孝康章皇后が皇帝の生母となった恩典により、一等公を追贈され、さらに満洲鑲黄旗に改めて所属させられた。雍正帝が即位すると、太師を贈られ、佟養正を一等公に追封し、諡号は「忠烈」とされた。雍正2年には勅して専祠が建てられ、春秋に祭祀されることとなり、皇帝自筆の祠額には「功宗元祀」と記された[2]。