佟国維
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| 佟国維 佟国维 ᡨᡠᠩ ᡤᡠᠸᡝ ᠸᡝᡳ | |
|---|---|
| 生年月日 | 崇徳8年(1643年) |
| 没年月日 | 康熙58年(1719年) |
| 死没地 |
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| 親族 |
佟図頼(父) ロンコド(三男) 孝懿仁皇后(姉) 愨恵皇貴妃(姉) 孝康章皇后(伯母) 康熙帝(外甥・娘婿) |
佟国維(満州語:ᡨᡠᠩ
ᡤᡠᠸᡝ
ᠸᡝᡳ、転写:tung guwe wei、崇徳8年(1643年) - 康熙58年(1719年))は清初の政治家、重臣、将軍、外戚。
本来の姓は佟氏であり、漢化した女真人の後裔である[1]。もとは漢軍正藍旗に属していたが、のちに康熙帝が実母のために旗籍を引き上げた際、その一族は満洲鑲黄旗に移され、満洲姓をトゥンギャ氏(佟佳氏)へと改めた[2]。
佟国維は康熙帝の母方の叔父であり、同時に義父でもあった。彼の姉は康熙帝の生母である孝康章皇后であり、兄には同じく重臣であった佟国綱がいる。また彼は康熙帝の后妃である孝懿仁皇后と愨恵皇貴妃、さらに雍正朝の重臣ロンコドの父でもあった。
このような親族関係に加え、その一族から二人の皇后が出たこともあり、彼は康熙帝から非常に信任され重用された。その権勢は一時朝廷のみならず地方にまで及び、その一族は「佟半朝(朝廷の半分を占める佟氏)」と称された。