侍政
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解説
日本の江戸時代の平和に哲学的な意義を最初に発見したのは、ロシア出身のユダヤ人でフランスの哲学者である アレクサンドル・コジェーヴである。コジェーヴは良く知られた『ヘーゲル読解入門』の「日本化についての註」の中で次のように述べている。
これを受ける形で『自死の日本史』において、パックス・トクガワーナをもたらした侍政の原理が法制に組み込まれた切腹という習俗にあることを詳細に明らかにしたのが、フランスの哲学者で日本学者のモーリス・パンゲである。パンゲは、江戸幕府の刑法体系を専制的としたシャルル・ド・モンテスキューを引きながらも、その分類によれば幕府の権力と武士の関係においては君主政的であり、むしろスパルタに似た軍事共和政に近いものとしてその独自性を強調し、[2]さらにはこれが準宗教的な性格を有するものでさえあることを次のように表現している。
日本の「詰め腹」は日本の習俗を写しとったものであった。〈自死〉の道徳というものがあったために、武士階級は、自分たちがなろうとしていたものの姿を、自分に対しても他人に対しても認めさせることができた。国家は自らの行う処罰を武士の徳目に混ぜ合わせることで彼らと手をうったのである。これ以上に安あがりの刑法体系がかつてあっただろうか。人間の生命の無駄使いと言えば無駄使いではある――しかしその機能の適合性たるや何とみごとなものか。罪人を抹殺することで罪を決裁し、それと同時にまさにそのことによって、罪人の服従と協力を獲得するのであるから。彼は刑罰の犠牲者でもなければ執行人でもない。切腹という刑罰の典礼が、罪人を、幼年時代から彼の身体に刻みこまれている法を執り行う司祭に変えるのである。[3]
ちなみに両者とは特に関係がないが、パックス・トクガワーナの別の側面として、戦国時代を通して大量に生産、使用された火縄銃を歴史の前面から退けたことを、テクノロジー史上の快挙として注目し『鉄砲を捨てた日本人』を著したのが、アメリカの英米文学の教授で環境保護論者でもあったノエル・ペリンである。ペリンは三島由紀夫に捧げた[4]この著作の最後で、日本人がかつて銃に対してなしたことを、今日世界が核兵器に対してなしうる保証はないとしながら、尚もこの教訓を活かしたその実現に希望を表明している。[5]