依田銈次郎
日本の政治家、官僚 (1860-1933)
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経歴
篠山藩士・依田秀実の長男として同藩江戸藩邸[2]で生まれる。1876年に上京して芳野金陵塾や二松学舎に通った[3]。一時帰郷後再び上京し、講法学舎に入ったが、舎監大岡育造と対立して退学し、斎藤孝治らとともに明治法律学校に入学[3]。1882年、同校を卒業し代言人(弁護士)となり、自由民権運動に参画。
1894年、富山区裁判所判事となり、宮津区裁判所判事に異動。1898年、宮崎県警部長に転じた。以後、福島県警部長、奈良県警部長、高知県警部長、山口県警部長、山口県事務官・第四部長、新潟県事務官・警察部長、石川県事務官・内務部長、東京府事務官などを歴任。
1912年3月、群馬県知事に就任し、同年12月に退任。1913年4月、長野県知事となり、1914年4月まで在任。1917年12月、山形県知事となる。米価の高騰、暴落への対応に当った。1921年7月、広島県知事に就任し、1922年10月まで在任し退官した。
