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俘虜の待遇に関する条約

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俘虜の待遇に関する条約(ふりょのたいぐうにかんするじょうやく)は、1929年にジュネーヴで締結された条約であり、いわゆるジュネーヴ条約の4条約のうちのひとつ。1929年7月27日に作成された。英語での公式名称は"Convention relative to the Treatment of Prisoners of War, Geneva July 27, 1929."

「陸戦の法規慣例に関する条約」(ハーグ条約、1911年11月6日批准、1912年1月13日公布)を充実する形で作られ、日本は署名を行ったが軍部、枢密院の反対により批准しなかった。 [1]

1949年のジュネーヴ諸条約整備に際して全面改正され、「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」(第3条約)となった[2]。

主な規定

本条約は、1907年のハーグ陸戦条約附属規則を置き換えるものではなく、その俘虜関係規定を補完する条約として作成され、主要な新規性には俘虜に対する報復および集団罰の禁止、俘虜労働の組織化、俘虜による代表の選任、利益保護国による監督が含まれた[3]。第1条は、1907年ハーグ陸戦条約附属規則第1条から第3条までにいう内容で、敵に捕えられた者を適用対象に含めた[4]。第2条は、俘虜が捕獲した個人または部隊ではなく敵対国政府の権力内にあること、ならびに暴力、侮辱、公衆の好奇から常に人道的に待遇・保護されることを定め、俘虜に対する報復措置を禁じた[5]。第3条は、俘虜が身体および名誉の尊重を受けること、女性俘虜がその性に応じた配慮を受けること、俘虜が民事能力を保持することを定めた[6]。

階級にも絡む特段の保護規定としては、第22条で、将校の俘虜を将校用主要所を設けて分置した場合には、その用務にあてる為、将校の階級を勘案して、将校と同一軍に所属し同一語を話す兵卒を配置すること、第46条で、俘虜が懲罰を受ける場合には待遇に関しては捕獲した国の規定で定められた同一階級の将兵より不利な扱いを受けないことが定められた[7]。

本条約は待遇規定だけでなく、俘虜の身上情報を相手国や家族へ伝えるための規定も含んだ[8]。第77条は、敵対行為の開始時に、各交戦国および自国内に交戦者を収容する中立国が、自国領域内の俘虜について情報を提供する公式の情報局を設置することを定めた[8]。太平洋戦争期の日本では、1941年12月27日に勅令第1246号「俘虜情報局官制」が裁可され、俘虜情報局は陸軍大臣の管理に属する機関として東京に置かれた[9]。同官制は、同局の所掌として、俘虜の留置、移動、宣誓解放、交換、逃走、入院、死亡に関する状況調査、銘銘票の作成補修、俘虜に関する状況の通信、遺留品・遺言書の保管送付、敵国に俘虜となった者の状況調査と家族等との通信幇助などを掲げた[9]。

太平洋戦争中における扱い

上述のように日本は本条約を批准していないが、太平洋戦争開戦後の1941年12月27日に、アメリカ合衆国は当時の日本における利益代表国であったスイスを通じて、同国が本条約を遵守する意思があることを伝え、また日本の意向について問い合わせてきた。

また、1942年1月3日には、英国およびその自治領が同様に利益代表国のアルゼンチンを通じて問い合わせを行った。

1942年1月29日に、日本政府はスイス、アルゼンチン外交代表に対し「適当なる変更を加えて (mutatis mutandis) 同条約に依るの意思ある」との声明を発表した。

脚注

外部リンク

関連項目

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