信州観光ホテル
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信州観光ホテルについて1964年に刊行された『全国著名旅館大鑑』には以下のように記載されている。
- 経営者 - 北村甚兵衛[2]
- 所在地 - 更級郡上山田町大字上山田三四〇八[2]
- 交通 - 信越本線、戸倉駅より徒歩20分、バス・タクシー5分、篠ノ井線、姨捨駅より徒歩1時間、バス20分、タクシー15分[2]
- 客室 - 和76室、洋6室[2]
- 広間 - 210畳、70畳、55畳[2]
- 離れ - 1棟[2]
- 収容客数 - 個人340名、団体400名[2]
- 料金 - 標準1500円、最高3000円、最低1200円[2]
- 団体料金 - 1200〜2000円[2]
- 浴室 - 大展望風呂、男女別風呂8、家族風呂4[2]
- 泉室効用 - 稀硫黄泉、神経痛、皮膚病、創傷[2]
- 自慢料理 - 鯉、川魚、松茸、洋食、山菜料理[2]
- 設備 - 設備娯楽、ホール、バー、撞球、映写室、釣り堀、ゴルフ練習所[2]
- シーズン・オフ - 1月、7月、8月、12月[2]
- 所属団体 - 国観連、日観連、公旅連[2]
信州観光ホテル別館について同書には以下のように記載されている。
歴史
戦後、上山田温泉は1949年(昭和24年)の善光寺御開帳と平和博覧会が長野県で開催されたことがきっかけとなり発展[3]。
信州観光ホテルは、善光寺参りの湯治客を目当てに1951年(昭和26年)に創業した[3]。ささやかな木造3階建てからのスタートだったが[3]、活気づいていく町とともに、また高度経済成長期の波にも乗り、増改築を繰り返し、400人収容の客室、350人収容の宴会場、コンベンションホールなどを整備するに至った[3]。ホテルは公園地に近い高台にある[2]。玄関前には広大な池があり、周囲に植込、噴水、人造滝を配し、趣豊かであった[2]。
ホテルの経営はバブル経済が始まった頃の1986年(昭和61年)4月期にピークを迎え[3]、年間売上9億2800万円を計上した[3]。しかし、ピーク後の売上は横這いとなり、1992年(平成4年)に、売上曲線はついに下を向き始めた[3]。加えて、増築のための多額の借入金が経営を圧迫し始め、毎年5000万円を超える赤字を出して債務超過に転落した[3]。
1996年(平成8年)、信州観光ホテルは、負債総額16億5000万円で長野地方裁判所に商法整理を申請、計5000人を超す予約キャンセルが殺到した[3]。裁判所監督の下で細々と営業を続けながら再建を図る予定だったが、再建計画は頓挫した[3]。1997年(平成9年)8月、長野地裁は信州観光ホテルに対して破産を宣告し、同日内に営業が停止し[3]、33人の正社員と21人のパートも即日解雇となった[3]。
その後信州観光ホテルは取り壊しに莫大な費用がかかることや、山が崩れる可能性などリスクは高く、買い手が現れることなく廃墟の姿をさらし続けた[4]。旧信州観光ホテル跡地は、2011年(平成23年)から2013年(平成25年)にかけて長野県滞納整理機構へ移管され、公売にかけられたが入札者はなく推移していた[5]。2018年(平成30年)3月、群馬県の業者が土地、建物を取得した[5]。2024年現在、土砂崩れの危険性があるため建物の基礎部分を残した状態で解体されている。
