俵田明
From Wikipedia, the free encyclopedia
山口県宇部市出身[1]。士族・俵田勘兵衛の二男[4][5]。俵田家は宇部領主福原氏家臣の家であったが、他の士族と同様に没落の一途を辿っていた。
興成義塾卒業後は、高輪の大村徳敏の家に書生として住み込みながら築地の工手学校を卒業。その後、電気技術者として陸軍砲兵工廠に職を得るが、1915年(大正4年)、渡辺祐策の誘いを受け沖ノ山炭鉱に入社。炭鉱技師として炭鉱経営に携わる。1928年(昭和3年)に専務に就任し[3]、1942年(昭和17年)に沖ノ山炭鉱、宇部窒素工業、宇部鉄工所、宇部セメント製造を統合して宇部興産を設立し、同社の初代社長に就任した。戦後は石炭化学事業、ナイロン原料事業進出などを手掛け、同社の業容を大きく発展させた。
また、化学工業統制会設立委員、化学工業統制会および石炭工業統制会会長選考委員、NHK経営委員会委員、日独伊親善協会会員、日本経営者団体連盟常任理事、経済団体連合会常任理事、中国電力取締役などの役職を歴任している。
1948年(昭和23年)、石炭国管問題に関し、衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[6]。
1958年(昭和33年)3月21日死去。享年73。
人物
俵田家と音楽
俵田家は親類に属澄江、属啓成らの音楽家がおり、また俵田寛夫が宇部好楽協会の初代会長を務めるなど、クラシック音楽への関りが深かった。俵田寛夫はユーディ・メニューインや、ヨゼフ・シゲティ、アルフレッド・コルトーといった一流の音楽家を自邸へ招待し、渡辺翁記念会館にて演奏会を開いていた。宇部市出身の元日本電気専務の新田謙治郎は八幡製鐵を訪問した際に、八幡製鐵の部長から「音楽で宇部の俵田家、美術で倉敷の大原家は羨望の的だった」と言われたという[7]。宇部市では2008年度より日本フィルハーモニー交響楽団によるチャリティーコンサートが開催されている(主催:宇部興産 共催:渡辺翁記念文化協会、宇部好楽協会)。