林佳介
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山口県佐波郡和田村(現・周南市)、松田忠治の七男として生まれる[7][8]。松田正三の弟[9]。林長五郎の養子となる[2]。東京帝国大学法学部卒業[3][10]。「大津屋」と称し、醤油醸造業を営んだ[11][注 1]。陸軍歩兵中尉に任ぜられた[10]。1937年、支那事変に出征した[10]。大政翼賛会山口県支部常務委員を委嘱された[10]。
山口県翼賛壮年団理事、同下関団長、下関倉庫、山陽電気、下関瓦斯、下関精密工業、百十銀行など各種会社の重役をつとめた[10]。
1942年、衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け、山口1区(当時)から立候補し、当選[5]。臨時召集を受け1944年8月3日に議員を退職し[14]、1945年5月18日に召集が解除され議員に復職した[15]。同年に下関瓦斯社長に就任。翌年、推薦議員のため公職追放となる[16]。
1951年に追放解除となる[17]。1973年に下関商業開発、1977年に山口合同ガスの各社長を歴任した[5]。この間、1947年から1981年までサンデン交通社長、1970年から1984年まで下関商工会議所会頭をつとめた[5]。