入来院重時 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 安土桃山時代生誕 天正元年(1573年)死没 慶長5年9月23日(1600年10月29日)別名 通称:又六、鎌三郎 凡例入来院重時時代 安土桃山時代生誕 天正元年(1573年)死没 慶長5年9月23日(1600年10月29日)別名 通称:又六、鎌三郎官位 弾正少弼主君 島津義久氏族 島津氏→入来院氏父母 父:島津以久養父:入来院重豊兄弟 彰久、重時、忠興、花庭玉蓮大姉(北郷忠能正室)妻 島津歳久娘・湯之尾[1]子 入来院重高室養子:重高テンプレートを表示 入来院 重時(いりきいん しげとき)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。入来院氏15代当主。 島津以久の次男。子のなかった入来院重豊の養嗣子として入り、入来院氏の15代当主となる。豊臣秀吉の九州平定では島津歳久・新納忠元らと共に奮戦した。 文禄の役では日本に残ったが、慶長の役では島津義弘に従い渡海した。慶長4年(1599年)の庄内の乱では島津宗家方に属したものの、伊集院忠真方に重時の家臣が参加していた事から、徳川家康に釈明するため上京した島津忠恒に同行している。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで島津義弘の隊に従軍していたが、撤退戦で本隊とはぐれてしまい、近江国で東軍の兵に発見され、主従7名と共に討ち取られた[2]。 重時には女子しか子がいなかったため、入来院氏には島津義虎の五男が婿養子入りし、入来院重高と名乗って家督を継いだ。 脚注 ↑ 島津忠隣の室だったが、忠隣が戦死したため重時と再婚した。 ↑ 京に潜伏中に発見され討ち死にしたともいわれる。 参考資料 「本藩人物誌」(『鹿児島県史料集』所収) Related Articles