入来院重高
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| 時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
|---|---|
| 生誕 | 天正7年8月20日(1579年9月10日) |
| 死没 | 正保4年8月18日(1647年9月6日) |
| 改名 | 島津忠富、久秀、頴娃久秀、入来院重国、重高 |
| 別名 | 通称:弥一郎(但し頴娃氏の頃のみ) |
| 戒名 | 蓮昌寺殿大円月鑑庵主 |
| 墓所 | 鹿児島県薩摩川内市入来町の蓮昌寺 |
| 官位 | 石見守、伯耆守 |
| 主君 | 島津義弘→忠恒→光久 |
| 藩 | 薩摩藩 |
| 氏族 | 島津氏→頴娃氏→入来院氏 |
| 父母 |
父:島津義虎、母:島津義久娘・御平 養父:頴娃久音、入来院重時 |
| 兄弟 |
志岐親弘室、忠辰、忠隣、忠清、忠栄、 重高、忠豊、小川有季室? |
| 妻 | 入来院重時娘 |
| 子 | 重通、重次、養子:頴娃久政 |
入来院 重高(いりきいん しげたか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。元は島津氏庶流の薩州家出身だが、後に頴娃氏、入来院氏を称した。