入江稔夫
日本の水泳選手
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経歴
1924年(大正13年)に茨木中学(現・大阪府立茨木高等学校)に入学。茨木中学校は、体育教諭杉本伝が指導に当たった水泳強豪校で、当時珍しい学校プールを擁し、高石勝男や石田恒信といったオリンピアンを輩出していた[2]。3年生時に早くも背泳ぎの日本新記録を作る[3]。1928年アムステルダムオリンピックには男子100m背泳ぎで参加。なお、アムステルダムオリンピックには茨木中から入江・高階富士夫(およびOBの高石)が選手として[2]、杉本が飛込コーチとして参加している[2]。
その後、早稲田大学理工学部に進学して卒業。1932年、ロサンゼルスオリンピック100メートル背泳ぎで銀メダルを獲得。このとき、金メダルの清川正二、銅メダルの河津憲太郎と共に日本選手で表彰台を独占した。日本初の快挙である。
現役引退後は運搬用つり具の製造販売を行うイーグル・クランプ社に入り取締役を務めた[1]。1974年5月8日、高槻市にて死去[1]。享年62。