八代道嵩の子として誕生した。赤松氏の家臣であった小寺則職に附従して、天正年中、八代村萱原に居を構え、八代村に采地4百貫をもった。
享禄4年(1531年)から天文14年(1545年)、小寺則職が御着城に移ったのに伴い、道慶は黒田職隆の下で姫路城留守居役を務めた。天文22年(1553年)、道慶は剃髪して号を道慶(どうけい)とし、山井村(姫路市山野井町)に法恩寺を開基する。
永禄7年(1564年)(または永禄9年(1566年)とする)、道慶は室山城で浦上清宗の婚礼に同席した際、赤松政秀の襲撃を受けて左目を射られて負傷した。それを引き抜いて奮戦したが、この傷が元で後に没した[1]。