八幡神社 (古河市八幡町)

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 茨城県古河市本町2-15-15
位置 北緯36度11分27.62秒 東経139度42分21.16秒 / 北緯36.1910056度 東経139.7058778度 / 36.1910056; 139.7058778 (八幡神社 (古河市八幡町))座標: 北緯36度11分27.62秒 東経139度42分21.16秒 / 北緯36.1910056度 東経139.7058778度 / 36.1910056; 139.7058778 (八幡神社 (古河市八幡町))
主祭神 誉田別命
社格 村社
八幡神社
所在地 茨城県古河市本町2-15-15
位置 北緯36度11分27.62秒 東経139度42分21.16秒 / 北緯36.1910056度 東経139.7058778度 / 36.1910056; 139.7058778 (八幡神社 (古河市八幡町))座標: 北緯36度11分27.62秒 東経139度42分21.16秒 / 北緯36.1910056度 東経139.7058778度 / 36.1910056; 139.7058778 (八幡神社 (古河市八幡町))
主祭神 誉田別命
社格 村社
創建 社伝文安3年(1446年)?
地図
八幡神社の位置(茨城県内)
八幡神社
八幡神社
テンプレートを表示

八幡神社(はちまんじんじゃ)は、茨城県古河市本町(八幡町)にある古河公方ゆかりの神社。旧社格は村社である[1]

歴史

社伝によれば、室町時代文安3年(1446年)、初代古河公方足利成氏鎌倉鶴岡八幡宮勧請し、のちの古河城三の丸の地に創建し、神田15石を寄進した。ただし、この年代は成氏が古河に移座した享徳4年(1455年)と整合しない。[1] [2]

古河志』には、この社伝とともに、江戸町(現在の市内中央町)にあった小山観音寺の記録が引用されている。この記録では、大永元年(1521年)、第二代古河公方・足利政氏が城内に勧請したとされている。[3]

江戸時代寛永19年(1642年)、古河城主の土井利勝により、城の鬼門除けとして古河城下の現在地に移転された。[1]

大正3年(1914年)、本殿の大規模な修理を行った。[1]

境内

本殿は南向き流造銅板葺で1.5坪。境内社としては星の宮神社があり、祭神は天御中主(あめのみなかぬし)命素戔鳴(すさのお)命金山彦(かなやまひこ)命保食(うけもち)命である[1]

このうち、金山彦は市内の鍛冶屋に信仰されていた。かつて、古河には関東一の金物商と呼ばれた「八百藤」があり[4]、関東各地はもとより東北地方北海道にまで農具を出荷していたため、多くの鍛冶屋が集まっていた。[5]

文化財

  • 八幡神社の大銀杏:寛永19年(1642年)、八幡神社が現在地に移転したときに植えられたと伝えられる銀杏(イチョウ)である。かつては、樹高30.736 m、目通り周囲6.4 mの巨木であったが、 平成12年(2000年)に上部が切断され、現在の樹高は14.20 mとなった。古河市指定文化財天然記念物[6]
  • 足利高基書状:第3代古河公方足利高基が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[7]
  • 足利政氏書状:第2代古河公方・足利政氏が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[8]
  • 足利義氏書状:第5代古河公方・ 足利義氏が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[9]

交通

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI