八田知紀
From Wikipedia, the free encyclopedia
同じ薩摩藩士であった八田知直の子として薩摩国鹿児島郡鹿児島近在西田村(現在の鹿児島市常盤二丁目)に生まれる[2]。1825年(文政8年)京都藩邸勤務を望んで上洛[1]。翌年から香川景樹の指導を受け[1]、1830年(天保元年)に山田清安を介して正式に入門[1]。同時期に活躍し、同じ景樹の門人であった熊谷直好と共に桂園派の二高弟と称された[要出典]。1845年(弘化)2年、直好と歌論に関する論争を行った[1]。
1863年(文久3年)郁姫の入輿に伴って近衛家に仕え[1]、勤王運動に関わった。明治維新後、神祇省と文部省を兼務し、1871年(明治4年)宮内省に出仕した[1]。翌年歌道御用掛を命じられ[1]、宮廷歌人として活躍した[1]。門下に高崎正風、渋谷国安、原田豊秋、税所敦子、黒田清綱等がいる[1]。