八重山神社
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歴史
社伝によると、神代、健速須之男命が簸の川で八股蛇を退治した後、「鷲尾の猛」という魔神が八重山の岩窟に住み、金鶏にまたがって飛び回って住民を苦しめていることを知ると、八重山を登って退治したという[4]。その後、二度と魔神が住み着かないように岩窟に母神伊邪那美命、姉神天照皇大神を祀られ須佐に行幸されたのが祭祀のはじめとされている。
永禄12年(1569年)に毛利元就が雲州に攻め入ったとき、多賀山通定が赤名の瀬戸山城において八重山神社をはじめ出雲の神社や寺院の由来について進講した[4]。江戸時代に入ると、松江藩主松平直政は領内の神社の修復に力をいれた。この神社についても、直政の枕辺に立った神が社の修復を訴えたため、直政は村吏に命じて社の所在地を探させ修復させたと伝えられている[4]。
その後も、「一社一例国主守護之社」とされ[5]、松江藩・広瀬藩の祈願社として崇拝された。一方で、藩との関係が深いがゆえに、氏子を持たなかったため困窮し、天保2年(1831年)には牛馬市の興業を願い出て、以後、牛馬の守護神として信仰されるようになった[4]。
信仰
施設
社宝
- 吉成城重鎮・大家信濃守の鎧兜 正平6年(1351年)銘
- 随神像狛犬 坪内平七郎利忠作 正徳3年(1713年)入間田部家寄進 現存する福光石製狛犬では最古のもの
- 金鶏 作者寄進者ともに不明
