公孫続

From Wikipedia, the free encyclopedia

出生 生年不詳
幽州遼西郡令支県
拼音 Gōng-sūn Xù
主君 公孫瓚
公孫続
後漢
将軍
出生 生年不詳
幽州遼西郡令支県
死去 建安4年(199年
冀州河間国易京城
拼音 Gōng-sūn Xù
主君 公孫瓚
テンプレートを表示

公孫 続(こうそん しょく[注釈 1]? - 199年)は、中国後漢時代末期の武将幽州遼西郡令支県の人。家系は遼西公孫氏公孫瓚。母は侯氏。一族に、公孫越公孫範(いずれも公孫瓚の従弟)がいる。

建安3年(198年)、父が袁紹と戦っていたとき、その命により公孫続は張燕のもとに送られ、盟約を結んだ。翌建安4年(199年)、張燕と公孫続は10万の兵を率いて易京城外へ救援に戻り、公孫瓚の指示で袁紹に対して挟撃策を採ろうとしていた。しかし袁紹は挟撃策を見抜き、伏兵を設けて公孫瓚・張燕を撃破した。同年、易京は陥落して公孫瓚は自害し、公孫続も屠各(南匈奴屠各種一支系か)によって殺害されてしまった(易京の戦い)。

なお、小説三国志演義』には登場しない。

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI