内山正博 (野球)

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-09-25) 1965年9月25日(60歳)
身長
体重
182 cm
75 kg
内山 正博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県三養基郡基山町宮浦
生年月日 (1965-09-25) 1965年9月25日(60歳)
身長
体重
182 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト外
初出場 1990年4月14日
最終出場 1994年9月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

内山 正博(うちやま まさひろ、1965年9月25日 - )は、佐賀県三養基郡基山町[1]出身の元プロ野球選手投手)、元会社経営者(建設業)。

小学5年で野球を始め、中学時代に外野手になるが、3年次に不祥事で対外試合が自粛となったため陸上部に所属した[1]

鳥栖高時代は、1年次秋に投手に転向し、3年春は九州大会初戦で佐世保工香田勲男に投げ勝つなどベスト4。夏は県大会準決勝で佐賀西高渡辺正和と投げ合い、決勝では岸川勝也が4番を打つ佐賀北高に勝って

1984年に高校卒業後、青山学院大学へ進学。東都大学リーグでは優勝に届かず、怪我もあってわずか3勝に終わる[1]。東都大学リーグ通算29試合登板、3勝8敗、防御率3.23、28奪三振。大学同期に南渕時高がいる。

1988年に大学卒業後、社会人野球本田技研熊本に進む。同年の日本選手権に出場。尾崎定己との二本柱で勝ち進み決勝に進出するが、東芝のエース菊池総に抑えられ準優勝にとどまる。1989年都市対抗野球NTT九州の補強選手として出場。1回戦で先発に起用されるが川崎製鉄千葉に敗退[2]。同年に、日本のメンバーに選ばれる[1]

1989年オフ、ドラフト外日本ハムファイターズに入団[1]

1年目の1990年から中継ぎとして起用され30試合に登板。同年10月9日の対ダイエー戦ではリリーフに立つが、直後に降雨コールドゲームとなり、「0球登板」という珍しい経験をする。

1991年には先発も兼ねて4勝をあげる。1995年限りで現役を引退[1]

アンダースロー気味のサイドスローからのスライダー、シュート、シンカーを武器とし、「西武キラー」として知られた[1]

引退後は、佐賀に戻り家業の建設会社を継いだが、2010年に売上不振による債務超過で経営破綻した[3]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1990 日本ハム 300000301--1.00025260.16051512321022202.981.24
1991 386201481--.333429102.2113142282330054504.381.31
1992 163000220--.50021250.05331821160031285.041.42
1994 240000000------9119.1273600800883.721.71
通算:4年 10892019102--.474984232.1253256111589101151064.111.35

記録

背番号

  • 43 (1990年 - 1995年)

脚注

関連項目

外部リンク

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