佐賀学園高では、3年夏に3番・三塁手として1学年下の4番・エースの若林隆信とともにチームを引っ張り[1]、1990年夏の選手権大会に出場を果たす。同大会では1回戦で甲府工業高と対戦し、チームは敗れるも自身は打点を挙げている[2]。
1990年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位で指名を受け、契約金と年俸それぞれ3,500万円、360万円(いずれも推定)で入団が決まった[3]。
1992年2月にロサンゼルスで右膝半月板を手術。1993年オフに巨人を退団し、福岡ダイエーホークスにテスト入団するが、一軍出場のないまま1995年をもって現役を引退。