帝京高に入学するが1年で中退し[1]、日大二高に再入学。2年生の頃から140km/h台の速球で注目され[2]、夏の西東京大会でベスト8まで進出している[3]。指定校のあった慶大への進学を希望していた。
1990年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから5位で指名を受け、契約金と年俸それぞれ6000万円、420万円(いずれも推定)で入団が決まった[4]。
投手として入団したが、その後外野手に転向する。しかし、一軍出場のないまま1992年をもって退団している。在籍中は同姓の主砲・原辰徳がスコアボード等で「原辰」表記となっていた。