元禄6年(1693年)、第2代藩主・内田正衆の長男・内田正勝の子として生まれる。翌年、父の死により嫡子となり、元禄12年(1699年)に正衆が死去したためその跡を継いだ。このとき、叔父の内田正長に1500石、同じく叔父の久世正広に500石を分与したため、鹿沼藩は1万3000石となった。
宝永6年(1709年)3月7日に叙任する。しかし享保9年(1724年)10月29日、狂気により妻女を傷つけてしまった罪を問われ、幕府より蟄居処分となった。江戸で見初めた町人の妻を正偏が鹿沼に連れて帰り、それを追って尋ねてきた父子を無礼と下の者に斬り捨てさせ、それから狂気に走るようになったという伝承がある。
家督は子の正親が継いだが、所領を3000石減らされた1万石で下総小見川藩に移された。
寛保3年(1743年)2月29日に死去した。享年51。