『文学界』は、透谷自らが借金を背負って設立した雑誌だった。
透谷はこの年、山路愛山の主張する「文学効用論」を批判する論陣を張り、愛山との間で論争となった(この論争は透谷が最初に愛山を批判した評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(同年2月)から、「人生相渉論争」と呼ばれる)[3][4][5]。その一環として透谷が執筆した評論である[3][5]。
透谷は、自身の自由民権運動への挫折感と自己批判をし、江戸時代から明治時代にかけて続いた、封建制度や体制のような他者や身分・家柄など外的な部分に命を懸けた世の風潮とは相対して、生命は各々の内部に宿り、肉体的生命よりも内面的生命(想世界)における自由と幸福を重んじるという世界を提唱した。
この評論は、文学界にある種の革命を引き起こした[要出典]。