円山応震
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作品
| 作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 款記・印章 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 琵琶湖図 | 絹本著色 | 1幅 | 滋賀県立琵琶湖文化館 | 1824年(文政7年) | 落款「甲申仲春寫 応震」/「應震之印」白文方印 | 朝鮮人街道に入る手前、石場辺りを通行する朝鮮通信使一行を描く。通信使が最後に江戸へ向かったのは明和元年(1764年)で、先行する図様を写したものだと推測される[2][3]。 | |
| 駱駝図 | 絹本著食 | 1幅 | 125.5x54.6 | 心遠館 | 1824年(文政7年) | 款記「文政七年甲申暮秋 應震真寫」/「應震」白文方印[4] | |
| 秋穫図 | 紙本淡彩 | 襖4面 | 宝鏡寺 | 1830年(天保元年)頃 | 御座の間障壁画で、同じく襖4面の「挿秧図」と対。 | ||
| 龍虎図 | 絹本墨画 | 双幅 | 京都国立博物館 | 落款「應震」/「應震」白文方印 | |||
| 四季耕作図屏風 | 紙本著色 | 六曲一双 | 大聖寺 (京都市) | 款記「応震」/「応震」白文長方印 | |||
| 蘭亭曲水図屏風 | 紙本著色金砂子 | 六曲一双 | 城南宮 | 款記「主馬助応震」 | 城南宮には他に、奥座敷床の間脇袋戸棚小襖にも応震の絵が描かれているという。 | ||
| 梅花双鶴・引雛鶴図 | 双幅 | 随心院 | |||||
| 花鳥図 | 双幅 | 121.0x57.4 | 個人 | 各幅に款記「応震」/印文不明白文方印[5] | |||
| 本居宣長像 | 紙本著色 | 1幅 | 96.3x30.0 | 本居宣長記念館 | 無款 | 本居大平賛[6] | |
| 賀茂真淵像 | 紙本著色 | 1幅 | 106.5x29.7 | 本居宣長記念館 | 無款 | 伝応震。本作品と寸法の異なる応震画賀茂真淵像が箱だけ発見されており、応震が複数の真淵像を描いていた可能性がある[7]。 | |
| 源義家像 | 絹本著色 | 1幅 | 105.7x40.0 | 長浜城歴史博物館[8] | |||
| 茶三聖図 | 絹本著色 | 1幅 | 豊中市・東光院 | 款記「應需 応震」/「應需」朱文方印・「百里」白文方印[9] | |||
| 孔雀・雲龍図 | 紙本著色 | 衝立1基両面 | 139.7x96.0(各) | 石川県七尾美術館(池田コレクション)[10] | |||
| 秋海棠山藤図屏風 | 絹本著色 | 二曲一双 | 40.0x76.4(各) | 鳥取県立博物館[11] | |||
| 麦稲図 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 156.6x361.6(各) | 心遠館 | 両隻とも款記「應震」/「應震」白文方印 | ||
| 鯉図 | 絹本墨画淡彩 | 1幅 | 181.0x49.2 | ロサンゼルス・カウンティ美術館 | |||
| Children Playing in Summer and Winter | 紙本著色 | 六曲一双 | 82x262.1 | メトロポリタン美術館 | |||
| Lady And Attendant | 絹本著色 | 1幅 | 116.0x51.0 | ボストン美術館 | |||
| 唐美人図 | 絹本著色 | 1幅 | ブルックリン美術館 | ||||
| 嵐山・男山図 | 絹本著色 | 双幅 | 112.0x45.9(各) | 大英博物館 | |||
| 鍾馗文使図 | 絹本著色 | 1幅 | 120.4x54.3 | プーシキン美術館 | 款記「応震」[12] | ||

