冷泉為尹 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 南北朝時代 - 室町時代前期生誕 康安元年(1361年)死没 応永24年1月15日(1417年2月1日)改名 為尹→大雲(法名) 凡例冷泉 為尹時代 南北朝時代 - 室町時代前期生誕 康安元年(1361年)死没 応永24年1月15日(1417年2月1日)改名 為尹→大雲(法名)別名 号:村雲官位 正二位、権大納言主君 後小松天皇→称光天皇氏族 冷泉家(上冷泉家)父母 実父:冷泉為邦?、実母:不詳養父:冷泉為秀(祖父)兄弟 為邦?、為尹、女子?子 為之、為員、持為テンプレートを表示 冷泉 為尹(れいぜい ためまさ)は、南北朝時代から室町時代にかけての公卿・歌人。近衛中将・冷泉為邦の子(諸説あり、後述)。官位は正二位・権大納言。上冷泉家3代。村雲と号した。 冷泉為邦の子として誕生し、祖父・為秀の養子となる[1][2]。しかし、為秀の実子とする説もある[3][4]。 応永6年(1399年)、従三位に叙任。応永8年(1401年)に参議、応永9年(1402年)に権中納言となる。応永22年(1415年)に正二位・権大納言となるが翌応永23年(1416年)に辞した。 歌人としては、歌が『新後拾遺和歌集』等に入首している。また、正徹に和歌を教授している。 なお、冷泉家は為尹の子の代から為之の流れ(上冷泉家)と持為の流れ(下冷泉家)に分かれる。 官歴 注釈のないものは『諸家伝』による 時期不詳:右近衛中将、弾正大弼[4] 応永6年(1399年) 4月2日:従三位 応永8年(1401年) 3月24日:参議 応永9年(1402年) 3月28日:権中納言 応永13年(1406年) 正月6日:正三位 応永15年(1408年) 正月5日:従二位。2月24日:兼民部卿 応永21年(1414年) 6月9日:正二位 応永22年(1415年) 3月28日:権大納言(卿如元) 応永23年(1416年) 11月8日:辞権大納言 応永24年(1417年) 正月25日:薨去(享年57) 系譜 実父:冷泉為邦? - 兄とする説もある[4]。 実母:不詳 養父:冷泉為秀(?-1372) - 祖父。実父とする説もある[4]。 妻:不詳 生母不明の子女 男子:冷泉為之(1393-1439) 男子:冷泉為員(?-?) 男子:冷泉持為(1401-1454) - 下冷泉家祖 参考文献 近藤敏喬『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。doi:10.11501/13134523。ISBN 4-490-20243-1。https://dl.ndl.go.jp/pid/13134523。2025年12月29日閲覧。 正宗敦夫『諸家伝 八―十一』日本古典全集刊行会〈日本古典全集〉、1939年。doi:10.11501/1042961。https://dl.ndl.go.jp/pid/1042961。2025年12月29日閲覧。 脚注 出典 ↑ 近藤 1994, p. 356. ↑ 正宗 1939, p. 720. ↑ 『公卿補任』 1 2 3 4 『御子左系図』 表話編歴上冷泉家3代当主上冷泉家 為相 為秀 為尹 為之 為富 為広 為和 為益 為満 為頼 為治 為清 為綱 為久 為村 為泰 為章 為則 為全 為理 為紀 為系 為臣 為任 為人 下冷泉家 持為 政為 為孝 為豊 為純 為勝 為将 為景 為元 為経 為俊 宗家 為栄 為訓 為起 為行 為柔 為勇 為安 為弘 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles