切替徹

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生誕 (1947-03-03) 1947年3月3日(78歳)
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
肩書き レーシングサービスデイノ代表取締役社長
きりかえ とおる

切替 徹
生誕 (1947-03-03) 1947年3月3日(78歳)
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
肩書き レーシングサービスデイノ代表取締役社長
公式サイト 株式会社レーシングサービスデイノ
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切替 徹(きりかえ とおる、1947年3月3日 - )は、日本実業家フェラーリ車の販売、整備、パーツを取り扱う「株式会社レーシングサービスデイノ」(本社:茨城県土浦市)の創業者、代表取締役社長。

茨城県土浦市出身。高校時代から始めた空手道では、20代の頃に土浦市にて道場長として門下生の指導に励んだ[1]

1974年、「レーシングサービスデイノ」を創業。外国車販売店が少なかった当時において、日本初のフェラーリ専門店でもあった。社名は創業当時所有していたディーノ・246GTに由来する。

1982年、日本で初めてフェラーリオーナーのみをメンバーとするオーナーズクラブ「フェラーリクラブジャパン」を設立し、2012年まで初代会長を務めた[2]。その傍ら、スーパーカーブームのころから所有し続けている365GT4BBへの愛着から、365GT4BB / 512BB / 512BBiのオーナーのみをメンバーとするオーナーズクラブ「BBclub」を2007年に立ち上げる。

1995年から日本でも始まったフェラーリの輸入代理店のコーンズが主宰する「チャレンジレース」には初年度から出場し、レースマシンの348チャレンジ、F355チャレンジ、360チャレンジと乗り継いだ。1999年から3年連続チャレンジでシリーズチャンピオンを獲得し、2001年まで出場した。

2003年、フェラーリモディファイパーツ「RSD」ブランドを立ち上げ、F355ベルリネッタ360モデナ、チャレンジストラダーレ、F430、430スクーデリア用パーツの制作を手がけている[3]

エピソード

  • スーパーカークイズに出演したことでレコードデビューの話が舞い込み、シングルを1枚リリースすることになったが、テレビ番組で子門真人と共演した際に、あまりの歌唱力の違いを見せつけられ芸能界を退く決意をした[5]
  • 1990年に発売されたビデオ『320km激走 フェラーリF40』の中で、常磐自動車道フェラーリ・F40で推定300 km/h以上の速度で走行し、後日そのビデオが物証となって警察に逮捕されたことがある[6]。切替によれば、元々は日本自動車研究所のテストコース(谷田部)でのテスト走行をビデオに収録する予定だったが、同コースでは280 km/h程度の速度しか出ず、「これでは商品にならない」として常磐道でアタックすることになったという[6]。物証がビデオだけのため、警察の取り調べに対して容疑を否認すれば有罪にならなかった可能性もあったが、切替は「速度超過したのは事実」として素直に容疑を認めた[6]

テレビ出演

著書

  • フェラーリを診断する ― 世界最速のクルマの魅力(コスモポリタン)1985年12月発刊
  • スポーツカーを診断する ― 誰も教えてくれなかった(文園社)1988年9月発刊
  • スポーツカーの世界:フェラーリと華麗なるライバルたち (22世紀アート) 2019年8月6日発刊

ディスコグラフィ

その他メディア掲載

脚注

外部リンク

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