前田勝之助
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福岡県嘉穂郡穂波村大字忠隈(現:福岡県飯塚市)に生まれる。父・繁師(しげのり)は住友鉱山忠隈炭鉱の病院の薬局長、母・道枝は山鹿(熊本県)の御殿医の流れを汲む竹下病院の長女。住友鉱山の庭付きの社宅で育った。姉・上野栄子、兄・慶之助[1]。
菰田小学校時代、約50人の学級の中に朝鮮人が5、6人おり、彼らは1、2歳年上だった。日本人と朝鮮人の生徒間の喧嘩が始まると、級長の前田は間に割って入った[1]。
嘉穂中学校時代は勤労動員に遭遇し、炭鉱で採炭の仕事に明け暮れた。男たちは戦争に駆り出され人手不足だった。切り羽の発破作業もこなした[1]。
父親が住友鉱山を辞し郷里の熊本に起業したため、約半年の一人暮らしののち、嘉穂中学から熊本中学に転校した。このとき2名の転入枠に引揚者の子弟が殺到し、転入試験の倍率は100倍に及んだ。
エピソード
- 熊大工学部時代、研究室で樟脳を蒸留して精度の高い結晶化を課題として与えられた。丁寧な実験手順をまもり、失敗するだろうとの教授の予想を覆して成功した。このとき化学実験分野が性に合っていると自覚した。
- 東レ入社後配属の際、大学院卒業だから当然研究所配属との社の指示を拒絶して工場配属を求め、人事担当常務を唖然とさせた。研究ではなく現場を強く希望していた。戦争で廃墟と化した熊本市街を花岡山上から見て、産業の現場で日本再建を担うことを願っていた。
- 東レ入社後愛知工場に配属、半年前から問題になっていた高周波乾燥機の手直しを求められた。学生時代の専攻とは違う分野の問題であったが一人こつこつと条件をつめて解決し、先輩たちに認められた。
技術者として
炭素繊維の開発
- 開発部員に着任したとき、アクリル繊維の開発を命じられた。この頃、衣料用以外の用途として炭素繊維に注目し、約20名の有志を集めて研究を開始した。当時炭素繊維の材料としてレーヨンが利用されていたが、分子構造的にレーヨンより炭素密度が高いアクリルに着目した。
- しかし、基礎研究を終え量産技術に着手という段階で経営陣の判断により、炭素繊維の開発は中止される。(1962年(昭和37年))
- 三島工場在任中、機会がある度に経営陣に炭素繊維の開発を訴え続けた。その熱意が認められて炭素繊維開発が決まり、本社生産管理部にてアクリル繊維などを担当する課長に異動。開発を再開した。(1965年(昭和40年))
- 1971年(昭和46年)、炭素繊維「トレカ」を商品化。
- 1976年(昭和51年)、トレカの主力工場である愛媛工場に異動。以後、技術部長、製造部長、工場長としてトレカを育てる。
- 1982年(昭和57年)、アクリルベースの本格的炭素繊維量産設備「C-4」を稼動させた。
ナイロン紡糸装置
- 独自技術開発を命じられ、押し出し機の溶融部に温度勾配加熱方式を導入した溶融紡糸装置を開発。「TN-2E」と命名した。(1957年(昭和32年))
テトロン収率改善
- 1963年(昭和38年)、三島工場に着任当時収率は30%に過ぎなかった。改善を進め、収率70%を達成した。
シルック開発
- 人工の絹(シルック)を開発し1964年(昭和39年)発売。10年後、銀座の絹問屋でも天然の絹と見分けのつかない高品質なものに発展させた。
- キーとなった技術は「人」形の繊維断面形状、撚糸工程の「部分整経」による発展だった。
経営者として
繊維事業再建
1972年(昭和47年)の日米繊維交渉での対米輸出自主規制以降、2度の石油ショック、プラザ合意による円高により日本の繊維産業は縮小し続けていた。この頃、東レも同様に脱繊維の方向を採っていた。
経営企画室技術企画担当に就任後、東南アジアに展開していた東レの海外工場のコスト・品質を改善、1年で黒字体質に転換させた。さらに、社長就任後は東南アジアの繊維企業を買収し欧米向輸出を主力とする一大加工基地に発展させた。
ユニクロとの提携
繊維の流通改革を標榜して大規模小売業のユニクロと提携した(2000年)。ここから、フリース(1999年)、ヒートテック(2003年)、ダウンジャケットなどヒット商品が生まれた。
中国事業参入
江蘇省南通市にナイロン・ポリエステル原糸と織布・染色の一貫工場を総額約500億円を投じて建設し、中国事業に本格的に参入した(1994年)。
CEOに復帰して危機対応
2000年前後、アジア通貨危機、米国同時多発テロ、ITバブル崩壊と連続した事件により、東レも赤字転落。1997年に会長に退いていたが2002年再度CEOに復帰、第一線に立って活動し業績をV字回復させた。
次世代経営者育成
- 東レ経営スクール開設(1991年)
- 総合研修センター開設(1996年)
- 評価方式
- 本務を達成して60点、ヨコとナナメの組織に貢献して30点、心配り10点