前田愛 (文芸評論家)
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1931年、神奈川県高座郡藤沢町(現・藤沢市)生まれ。父の前田愛天は医師で、出生後すぐに父が三重県山田簡易保険健康相談所に勤務したため、三重県宇治山田市(現・伊勢市)に移る。5歳で父が北海道帝国大学に勤務したため、札幌に移り、再び7歳の時に父が旭川の病院に勤務することになったため、旭川に移った。8歳で藤沢に戻り、9歳で同じく医師であった祖父が死去した。
1950年、神奈川県立湘南高等学校を卒業し東京大学教養学部文科二類に入学する[1]が、結核を発病して休学。1957年、東京大学文学部国文科を卒業。1952年から駒場の演劇サークル「劇研」に参加し、演劇活動に加わった。しかし1960年には結核が再発し、肋骨を切る手術を受けた。1962年に横山峰子と結婚し、また翌年までスタンフォード大学日本学研究センター講師をつとめた。1963年、清泉女学院中学高等学校で日本語教師をつとめた。1965年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。1966年、成蹊大学文学部専任講師に着任。1970年、立教大学文学部助教授となり、1975年に教授昇進。1981年シカゴ大学客員教授。
学外では、1976年「毎日新聞」書評委員、1977年「読売新聞」書評委員、1978~82年「朝日新聞」書評委員をつとめた。1977年河合隼雄、中村雄二郎、山口昌男らと共に研究会「都市の会」に参加。
受賞
研究内容・業績
その他
けん玉が得意であり、学生の前でも披露していた。身長は高く180センチ近くあった。