加納治雄
From Wikipedia, the free encyclopedia
東京府東京市小石川区新諏訪町(現・東京都文京区後楽)出身[1][3][4]。陸軍文官・三橋淳の二男として生まれ、6歳で加納家の養子となる[1][4]。開成中学校(現開成中学校・高等学校)、陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校を経て、1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業[1][2][5]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第34連隊付となる[1][5]。
1914年(大正3年)8月、名古屋陸軍地方幼年学校生徒監に就任[1]。中央幼年学校生徒隊付、同校副官、歩兵第34連隊付、同連隊大隊副官、同連隊中隊長、陸士副官、関東軍副官を務め、1926年(大正15年)3月、歩兵少佐に進級し歩兵第18連隊付となる[1]。1927年(昭和2年)7月、岡崎師範学校配属(配属将校)となり、歩兵第3連隊大隊長を経て、1931年(昭和6年)8月、歩兵中佐に昇進し歩兵第3連隊付となる[1]。第1師団副官を経て、1936年(昭和11年)3月、歩兵大佐に進み第1師団司令部付となる[1][3]。
1936年11月、歩兵第1連隊留守隊長に就任し、1937年(昭和12年)9月、歩兵第101連隊長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。同年10月、第二次上海事変で戦死し陸軍少将に進んだ[1][2][3]。同年12月10日の葬送には勅使が邸宅を訪問、幣帛の下賜を受けた[6]。