加藤タキ
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かとう たき 加藤 タキ | |
|---|---|
| 生誕 |
加藤多喜子[1] 1945年3月30日(80歳) |
| 別名 | 黒川多喜子 |
| 出身校 |
森村学園高等部 日本大学芸術学部造形科(中退) 米国オレゴン州・マルトノマJr・カレッジ |
| 職業 | タキ・オフィス代表 |
| 受賞 |
2017年アンチエイジングネットワーク主催「第11回アンチエイジング大賞 特別賞」 2009年日本アンチエイジング歯科学会主催「アンチエイジングアワード」 1998年東京都中央区ウエルネス・コミュニティ協会主催「感動文化賞 第9回ハーティーファミリー賞」 |
加藤 タキ(かとう たき、1945年〈昭和20年〉3月30日[1] - )は、日本のコーディネーター[3]。国際NGO 認定NPO法人 AAR Japan(難民を助ける会)副会長[4]。株式会社タキ・オフィス代表[5]。米国ショービジネス界コーディネーターの草分け。本名は多喜子[1][注釈 1]。
夫は建築家の黒川雅之[7]。母は衆議院2期、参議院4期を務めた婦人解放運動家の加藤シヅエ、父は元議員の加藤勘十。両親は共に 戦後初の衆議院議員総選挙で当選した[8]。
東京都大田区北千束生まれ[2][注釈 2]。父53歳、母48歳のときの子供で、両親ともに社会活動家かつ再婚同士だった[8]。義父は建築家の黒川巳喜、義兄は建築家の黒川紀章、義弟は建築家の黒川喜洋彦(くろかわ きよひこ)。
小中高は森村学園で過ごす[10]。中学1年、3年次に母の会議についていくかたちで渡米し、ホームステイも経験。森村学園高等部を卒業後、一度は日本の大学に入学したが、英語を完全にマスターしようと決意し、アメリカのオレゴン州にあるマルトノマ大学(現ポートランド大学)へ留学し、卒業。
1969年、24歳で青山音楽事務所の社長・青山ヨシオと結婚するも4年で離婚[11]。37歳のときに建築家の黒川雅之と再婚し42歳で長男(建築家の黒川彰[12])を出産[13]。
女性初の国会議員だった母が、2001年に104歳で死去[8]。
2009年(64歳)から本格的に週に2回かつ一度に2時間程度、社交ダンスをはじめる[14]。2020年(75歳)から、シャンソンを習いはじめ[15]、週1回レッスンに通う[16]。
経歴・履歴
大学卒業後に帰国し、雑誌「ニューズウィーク」や「タイム・ライフ」の東京支局に2年間勤務。モンキーズが初来日時の通訳をつとめ、コーディネーター業を開始。1971年オードリー・ヘプバーンとテレビCMのコーディネートで初交流[注釈 3]。青山音楽事務所役員を経て1975年にコーディネーターとして独立[17]し、タキ・オフィスを設立。1982年、オードリー・ヘプバーンと再び仕事[18]し、その後40年以上家族同士の交流が続く。1990年代以降はテレビのコメンテーターや講演活動を行う。
日本新党では広報委員長を務めた[19]。2002年、「21世紀を対話と和解の世紀にするために~一人ひとりが変化をもたらすイニシエーターとなろう~」というテーマで東京で開かれた日本道徳再武装のシンポジウムをコーディネート[20]。
2004年NPO法人「難民を助ける会」理事に就任[14]。2007年、グレーヘア(白髪)がトレードマークの女性4人組チャリティー活動グループ「チーム ソルトン セサミ(ごま塩/Team Salt'n Sesame)」を歌手の中尾ミエ、元イッセイミヤケ副社長の小室知子、PRプロデューサーの飯野晴子と結成[21]。
文化放送番組審議会の副委員長を務めている[22][23]。2001年に設立され、2004年以降理事として関わり、2020年より前任の故・岡本行夫に理事長を託されていたNPO法人 新現役ネットを2024年に解散させた[24]。