加藤恒平
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | 加藤 恒平 | |||||
| カタカナ | カトウ コウヘイ | |||||
| ラテン文字 | KATO Kohei | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1989年6月14日(36歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 173cm | |||||
| 体重 | 70kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 2008-2011 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2012 |
| 29 | (0) | |||
| 2013-2015 |
| 61 | (8) | |||
| 2015-2016 |
| 35 | (1) | |||
| 2016-2018 |
| 39 | (1) | |||
| 2018 |
| 1 | (0) | |||
| 2019 |
| 11 | (0) | |||
| 2019-2020 |
| 6 | (0) | |||
| 2020-2021 |
| 25 | (1) | |||
| 2021 |
→ | 15 | (1) | |||
| 2021 |
| 0 | (0) | |||
| 2022 |
| 14 | (1) | |||
| 2022 |
| 8 | (0) | |||
| 2023 |
| 15 | (0) | |||
| 2023 |
| 11 | (0) | |||
| 2025 |
| 6 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 2017 |
| 0 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2025年3月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
加藤 恒平(かとう こうへい、1989年6月14日 - )は、和歌山県新宮市出身のプロサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。元日本代表。
小学校1年の時に新宮サッカースポーツ少年団に入団。サッカーにのめり込み、中学進学にあわせ母方の祖母宅がある千葉県に移った。ジェフユナイテッド千葉ジュニアユース舞浜、ジェフユナイテッド千葉U-18で技術を磨いた後、立命館大学に進学した[1]。
2010年、大学3年の夏休みに、アルゼンチンのクラブ入団を目指し渡航。2か月ほど滞在したが、怪我のため入団テストを受けられず帰国。2011年7月に再び渡航。「セファール」と呼ばれる、クラブ未契約の選手が共同生活する施設で約7か月暮らし、プロ契約を目指した。アルゼンチン4部リーグのクラブから高評価を受け、契約までこぎつけるも、試合出場に必要なビザが下りず断念し、帰国[1]。
帰国後の2012年2月中旬から3週間FC町田ゼルビアに練習生として参加し、3月正式に入団した[2]。しかしチームがJFLに降格したことに伴い、2013年1月に「上のカテゴリーでプレーしたい」という意志が強かったため、町田を退団することとなった[3]。
2013年8月、モンテネグロ1部のFKルダル・プリェヴリャへ移籍[4]。在籍2シーズン目の2014-15シーズンにはリーグベストイレブンに選出される活躍で、チームを1部制覇に導いた[5]。
2015年6月、ポーランド1部リーグのTSポドベスキジェ・ビェルスコ=ビャワへ移籍[5]。2015-16シーズン開幕戦でいきなりマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、その後も活躍を続けたものの、チームは2部に降格[6]。
2016年6月、ブルガリア1部リーグのPFCベロエ・スタラ・ザゴラへ移籍[6]。
2017年5月25日、日本代表に初選出された[7] が、同年6月7日のシリアとの親善試合には出場せず、6月13日のFIFAワールドカップ・アジア3次予選のイラク戦に向けたメンバー23名からは外れた。
2018年3月27日、サガン鳥栖へ完全移籍[8]。Web上で行われた「もうひとつのルヴァンカップ」という「ルヴァンプライムスナック」(ヤマザキビスケットのスナック菓子)を使ったレシピをJ1からJ3までのクラブが発表し、それをランキングで競う企画で、元スペイン代表のフェルナンド・トーレスと作った「カトーレスサンド」(スナックに団子を挟んだもの)が1位に選ばれている[9][10]。しかし、リーグ戦1試合、カップ戦4試合のみの出場で1年での退団となった[11]。
2019年3月、ポーランド3部のヴィジェフ・ウッチに入団[12]。同年7月まで所属した後、10月にジブラルタル1部のセント・ジョセフスFCに入団した。
2020年2月、モンテネグロ1部のFKイスクラ・ダニロヴグラードに入団[13]。
2021年7月20日、 元川崎フロンターレの中村彰がオーナーを務めるポルトガル・リーガ3のアナディアFCに加入[14]。
2021年12月、タイ・リーグ1のチェンライ・ユナイテッドFCに移籍[15]。
2022年8月、FC琉球へ加入した[16]。同年10月29日、契約満了による退団が発表された[17]。
2023年2月、再びモンテネグロ1部のFKイエゼロに移籍したが8月に退団。同年9月、マカオリーグ・リーガ・デ・エリートの鄒北記体育会に移籍したが12月に退団[18]。
2025年1月、1年のブランクを経て、カンボジア・リーグのキリボン・ソクセン・チャイFCに入団しシーズン終了までプレーした[19]。
プレースタイル
アルゼンチンに渡った当初はサイドの選手だったが、「セファール」でコンバートされてからは激しい守備と縦に素早くボールを繋げるスタイルが注目されるボランチとしてプレーしている[20]。
人物・エピソード
サッカーを始めたきっかけは2人の兄の練習について行った流れで始めたという[21]。5次試験まであったジェフのユースに合格したが、元々加藤の祖母が千葉に住んでおり長期休暇で遊びに行った際にジェフの試合をよく観戦していたという[21]。
アルゼンチンへ渡った理由は、小学生の時にイタリアでプレーしていた中田英寿を見て加藤もまたイタリアでプレーする夢を抱いたが、後にスペインでプレーするというのが最大の目標となって気持ちが変わっていき、アルゼンチンはスペインと言語が同じであるからだったと述べている[21]。ちなみに、FKルダル・プリェヴリャへ移籍する前には、スペインの4部相当のリーグであるセグンダ・ディビシオンBのチームとの契約にニ度近づいてたが、一度目は監督解任によって補強の方針が変わり、ニ度目はチームに対して事前に経歴や履歴書を送っていたにも関わらず23歳以下の選手の獲得を希望しているという理由で契約には至らなかった[21]。
日本代表に選出された当時はPFCベロエ・スタラ・ザゴラに所属していたが、ブルガリアからさらにステップアップしてよりレベルの高いリーグのチームでのプレーが実現していれば代表に招集されると思っており、本人としてもサプライズのメンバー入りだったという[21]。
所属クラブ
- 新宮サッカースポーツ少年団(新宮市立蓬莱小学校)[22]
- 2002年 - 2004年 ジェフユナイテッド市原・千葉ジュニアユース舞浜 (千葉市立松ヶ丘中学校)
- 2005年 - 2007年 ジェフユナイテッド市原・千葉U-18 (千葉県立生浜高等学校)
- 2008年 - 2011年 立命館大学
- 2012年3月 - 同年12月
FC町田ゼルビア - 2013年8月 - 2015年6月
FKルダル・プリェヴリャ - 2015年7月 - 2016年6月
TSポドベスキジェ・ビェルスコ=ビャワ - 2016年7月 - 2018年3月
PFCベロエ・スタラ・ザゴラ - 2018年3月 - 同年12月
サガン鳥栖 - 2019年3月 - 同年7月
ヴィジェフ・ウッチ - 2019年10月 - 2020年1月
セント・ジョセフスFC - 2020年2月 - 2021年6月
FKイスクラ・ダニロヴグラード
- 2021年7月 - 同年12月
アナディアFC - 2021年12月 - 2022年6月
チェンライ・ユナイテッドFC - 2022年8月 - 同年10月
FC琉球 - 2023年2月 - 同年8月
FKイエゼロ - 2023年9月 - 同年12月
鄒北記体育会 - 2025年1月 - 同年6月
キリボン・ソクセン・チャイFC
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2012 | 町田 | 27 | J2 | 29 | 0 | - | 3 | 0 | 32 | 0 | |
| モンテネグロ | リーグ戦 | リーグ杯 | ツルノゴルスキ杯 | 期間通算 | |||||||
| 2013-14 | ルダル | 19 | プルヴァ | 30 | 1 | - | |||||
| 2014-15 | 31 | 7 | - | ||||||||
| ポーランド | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2015-16 | ポドベスキジェ | 19 | エクストラクラサ | 35 | 1 | - | 2 | 0 | 37 | 1 | |
| ブルガリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2016-17 | スタラ・ザゴラ | 4 | A PFG | 28 | 1 | - | 1 | 0 | 29 | 1 | |
| 2017-18 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2018 | 鳥栖 | 21 | J1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 |
| ポーランド | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2018-19 | ヴィジェフ・ウッチ | 5 | IIリガ | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | |
| ジブラルタル | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2019-20 | セント・ジョセフス | 14 | プレミア | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 |
| モンテネグロ | リーグ戦 | リーグ杯 | ツルノゴルスキ杯 | 期間通算 | |||||||
| 2019-20 | イスクラ・ダニロヴグラード | プルヴァ | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | |
| 2020-21 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 | |||
| 2020-21 | ポドゴリツァ | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 1 | ||
| ポルトガル | リーグ戦 | リーグ杯 | ポルトガル杯 | 期間通算 | |||||||
| 2021-22 | アナディア | リーガ3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| タイ | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 2021-22 | チェンライU | 4 | T1 | 15 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 20 | 2 |
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2022 | 琉球 | 37 | J2 | 8 | 0 | - | 0 | 0 | 8 | 0 | |
| モンテネグロ | リーグ戦 | リーグ杯 | ツルノゴルスキ杯 | 期間通算 | |||||||
| 2023-24 | FKイエゼロ | 14 | プルヴァ | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | |
| 日本 | J2 | 37 | 0 | - | 3 | 0 | 40 | 0 | |||
| モンテネグロ | プルヴァ | 100 | 10 | - | 100 | 10 | |||||
| ポーランド | エクストラクラサ | 35 | 1 | - | 2 | 0 | 37 | 1 | |||
| ポーランド | IIリガ | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | |||
| ブルガリア | A PFG | 39 | 1 | - | 1 | 0 | 40 | 1 | |||
| ジブラルタル | プレミア | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | ||
| ポルトガル | リーガ3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| タイ | リーグ1 | 15 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 20 | 1 | ||
| 総通算 | 244 | 13 | 4 | 0 | 3 | 0 | 259 | 13 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2022 | チェンライU | 4 | 4 | 0 |
| 通算 | AFC | 4 | 0 | |
代表歴
日本代表
- 2017年 - キリンチャレンジカップ
- 2017年 - 2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選