幼少期は醸造業の家庭に育ち、裕福な環境だった。小学校時代に「管の複雑さに興味を持って」始めた吹奏楽を、大学時代まで続けることとなった。小2の時、台風が接近していた宮崎の浜で海水浴中に溺れかかりサーファーに助けられる。以来、水泳が恐怖になったと語っている。
「つぶしがきく」理由から法学部に進学。法学部在籍中は国際法を専攻、東風平玄純教授の薫陶を受ける。宇宙法に関心を持ち、東京大学工学部航空学科久保田弘敏教授の誘いを受け宇宙技術と科学の国際シンポジウム(ISTS)に参加。大学卒業時に宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構(JAXA)の誘いを受け入社試験を受験したが、最終選考で落選。
事業団以外の就職活動をしていなかったため、就職試験すら受けられない状況に立ち至った。たまたま故郷に立ち寄り飯田信用金庫を訪問した際に、そのいきさつに興味を持った森山和幸(後の理事長)が就職試験の受験を許可し、入庫が決まった。
その後、当時酒蔵の社長であった伯父の急逝を受けて1997年より実家ゆかりの酒蔵に勤務。実家は喜久水酒造株式会社(長野県飯田市)の創業家のうちの一軒で最大株主である。同社は嘗て、灘伏見を除いた地方の蔵元では最大出荷量を誇っていた名門蔵元であった。
この間、久保園晃の依頼を受け、日本のロケット開発史「日本ロケット物語」の編集作業に協力し刊行。文部省宇宙科学研究所(ISAS)的川泰宣教授の協力で、長野県飯田市美術博物館に飯田宇宙少年友の会を設立。博物館のスタッフとともに、宇宙少年団活動を実施した。飯田宇宙少年友の会のロゴ文字は毛利衛宇宙飛行士の揮毫、アイコンの図柄は松本零士直筆によるメーテルである。
その後、東京での適正飲酒の講師を依頼され、NHK文化センターを筆頭に都内各地にて講師を担当することとなり酒蔵を退社。独立行政法人酒類総合研究所清酒専門評価者の資格を取得。全国の地方酒蔵有志を募り「お酒手帖」(竹書房)を出版。
味覚・嗜好の獲得と発達を研究しようと早稲田大学教育学部教育心理学専修に学士入学。中垣啓教授の発達心理学研究室に所属するも、2年後に教授が定年退職。研究内容の変更を余儀なくされ、それまでアルコールを売って育ってきたのだから、人生の後半はアルコールを飲みすぎてしまった人たちの役に立とうと考え臨床心理学に転向し、堀正士教授の研究室に異動。それ以降アルコール依存や、その原因となるトラウマ体験に対する心理療法が研究テーマになる。学部から博士課程まで早稲田大学で学び、修士課程では慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室(三村將教授・村松太郎准教授)に、博士課程では東京大学大学院医学系研究科(川上憲人教授)に大学間協定により派遣される。アルコール使用症の心理学的支援に関する研究にて学位取得し、現在に至る。
2024年、酒蔵の従業員有志・旧従業員有志・株主有志から以下の詩が贈られた。
懐かしき君を想い
信州の清冽な水を湛え
かつてそこには 誇り高き一軒の蔵があった
暁の霧から 夜更けの静寂まで
誰よりも汗を流し 働く背中があった
若き君は どんな過酷な時でさえ
微笑みを絶やさず 優しい言葉を仲間に届けた
その一言が 凍てつく蔵を温める 灯であった
しかし 澄んだ流れを濁らせる影が差す
権威を笠に着る者の 鋭い言葉が
ひたむきな職人の 魂を折り
尊き命は 帰らぬ風となって 消え入った
正義を貫こうとした君もまた
策略の渦に 慈しんだ蔵を追われた
時は流れ
城を奪った者たちの手元には 虚しき静寂だけが積もる
失われた石高は 信頼を捨てた代償
しかし 追われたはずの主は 今
学問の聖域で 孤高の花のように 凛と咲いている
主の笑顔も 温かな言葉も
今の蔵からは 消え去ってしまったけれど
共に汗を流した 確かな記憶がある限り
真実の「喜久水」は 決して死にはしない
その誇りは 泥の中に沈むことなく
今も透明な水のように
語り継ぐ者の胸を 静かに流れ続けている