勝湖里強制収容所

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座標: 北緯39度01分14秒 東経126度02分11秒 / 北緯39.020630度 東経126.036379度 / 39.020630; 126.036379

勝湖里強制収容所(スンゴリきょうせいしゅうようじょ、しょうこりきょうせいしゅうようじょ)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の黄海北道勝湖郡(旧平壌直轄市勝湖区域)貨泉洞に所在する政治犯収容所である。正式名称は26号管理所である。

第25号管理所(清津強制収容所)とともに極度に劣悪な環境にある強制収容所とされている。受刑者は「救いようのない者」とみなされ、釈放されることがなかったため、ほとんど知られていない。北朝鮮からの難民脱北者によって、最も恐れられている労働収容所の1つであり、約2万1,000人の受刑者がひどい環境で生活し、働かされてきたといわれている。姜哲煥はこの収容所を「後戻りのできない収容所」と表現している[注釈 1]。ここに収容された、姜哲煥の祖父たちを含む受刑者たちが釈放される見込みは低い。姜哲煥は、自身が収容されていた耀徳強制収容所に移送されてきた1人の政治囚に会い、勝湖里の囚人たちは炭鉱労働者として働かされているという話を聞いている。

この収容所は、1991年1月に閉鎖された[1]。姜哲煥によれば、この収容所はアムネスティ・インターナショナルの報告を受けて閉鎖されたという[2]。一方、安明哲は、ここでは政治犯当人のみが収容されていたが、平壌に隣接し、秘密露見の恐れがあることから閉鎖されたと説明している[1][注釈 2]

しかし、2020年頃にほぼ同じ場所に第8号教化所が建てられ[3]、実質的な管理所の復活と指摘された[4]

2022年6月に再び閉鎖され、鍛錬隊(軽犯罪者を収容する刑務所)に改編された。社会安全省特別捜査局(高位幹部や秘密基地に関連する業務に携わる人を捜査対象とする部署)が管理し、通常の労働鍛錬隊に収監して一般の受刑者と接触させることは保安上適切でないと判断された人々を収容する刑務所となったとみられる[5]

収監された人物

風評の域を出ないが、在日朝鮮人のテノール歌手で1960年に北朝鮮に帰国した永田絃次郎(本名:金永吉)はスパイ容疑で有罪判決を受け、この収容所に送り込まれたという。

また、アムネスティ・インターナショナル1994年6月に発表した北朝鮮の "political prisoner detention center(政治犯収容所)"に関するレポートでは、1990年に勝湖里収容所に収容されていた政治犯49人の中に、「高大基」の名の人物が含まれていたことが明らかになった[6]。この人物は、備考欄に「元在日朝鮮人」と記されており、年齢から見ても2児拉致事件1974年)の拉致被害者高敬美高剛の父親で元朝鮮総連幹部の高大基と同一人物である可能性が高いとみられている[6]

脚注

参考文献

外部リンク

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