北九州コカ・コーラボトリング

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市場情報
東証プライム 2579
1998年6月1日上場
福証 2579
1994年6月15日 - 2020年7月11日
大証1部(廃止) 2579
1999年7月1日 - 2013年7月15日
広証(廃止) 2579
1999年7月1日 - 2000年3月1日
東証2部 2579
1996年11月7日 - 1998年5月31日
本社所在地 日本の旗 日本
812-0053
福岡県福岡市東区箱崎7丁目9-66
設立 1960年(昭和35年)12月20日
(日米飲料株式会社)
北九州コカ・コーラボトリング株式会社
Kitakyusyu Coca-Cola Bottling Co., Ltd,
種類 株式会社
市場情報
東証プライム 2579
1998年6月1日上場
福証 2579
1994年6月15日 - 2020年7月11日
大証1部(廃止) 2579
1999年7月1日 - 2013年7月15日
広証(廃止) 2579
1999年7月1日 - 2000年3月1日
東証2部 2579
1996年11月7日 - 1998年5月31日
本社所在地 日本の旗 日本
812-0053
福岡県福岡市東区箱崎7丁目9-66
設立 1960年(昭和35年)12月20日
(日米飲料株式会社)
業種 食料品
事業内容 清涼飲料水の製造、加工及び販売
代表者 久保長(代表取締役社長)
資本金 91億5,300万円
(1998年12月31日現在)[1]
発行済株式総数 4,805万5,000株
(1998年12月31日現在)[1]
売上高 連結:1,179億9,100万円
単体:1,025億1,900万円
(1998年12月期)[1]
経常利益 連結:125億1,000万円
単体:118億500万円
(1998年12月期)[1]
純利益 連結:58億7,200万円
単体:55億7,500万円
(1998年12月期)[1]
純資産 連結:872億9,800万円
単体:845億1,700万円
(1998年12月期)[1]
総資産 連結:1,022億7,800万円
単体:954億円
(1998年12月期)[1]
従業員数 単体:2,258人
(1998年12月31日現在)[1]
決算期 12月31日
主要子会社 キャピタルフーズ株式会社 100%
北九州コカ・コーラセールス株式会社 100%
関係する人物 佐渡島匡男(創業者)
市村清(元社長)
篠原雷次郎(元社長)
特記事項:1999年(平成11年)6月30日時点の情報。同年7月1日にコカ・コーラウエストジャパン株式会社に商号を変更。従業員数は平均臨時雇用者数との合計。
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北九州コカ・コーラボトリング株式会社: Kitakyusyu Coca-Cola Bottling Co., Ltd,)は、かつて存在した日本コカ・コーラボトラー

コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングスの法人格上の前身企業であり、コカ・コーラボトラーズジャパンの前身企業の一つである。

日本コカ・コーラより製造・販売権を取得し、福岡県佐賀県及び長崎県にて「コカ・コーラ」「ファンタ」等の清涼飲料水を販売していたボトラーであった。

リコーからの出資を受けていた為、同社と同じ健康保険組合を利用するなど福利厚生も一部共通であった。これは後のコカ・コーラウエストにも引き継がれている。

歴史

設立の経緯

1949年にコカ・コーラが日本で本格的に製造を開始し、1957年には日本飲料工業(現・日本コカ・コーラ)が設立され、東京都にて原液工場が建設された[2]。製造・販売会社(ボトラー)については、16の地域に分けてそれぞれフランチャイズ形態を取ることとなった。博多でパチンコ店等を運営していた佐渡島匡男はコカ・コーラに惚れ込み、福岡県佐賀県及び長崎県での販売権を取得する為、地元の名士らと共に1960年に日米飲料株式会社を設立した。しかし、佐渡島と名士との間で主導権争いが起き、最終的に名士らが会社から撤退した。その為、佐渡島は伝手を頼り、リコーの創業者である市村清に支援を要請し、市村はこれを快諾した。市村は頻繁に九州に行けない為、友人である村山長一に相談し、村山は責任者として篠原雷次郎を推薦した。篠原は市村からの説得の末、これを受諾した。こうして1962年3月、市村が代表取締役社長、篠原が代表取締役副社長、佐渡島が専務取締役に就任し[3]、同年6月にザ コカ・コーラ カンパニー及び日本コカ・コーラとの契約を締結した。

山陽コカ・コーラボトリングとの合併

沿革

工場

脚注

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