三笠コカ・コーラボトリング
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| 種類 | 株式会社 |
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| 市場情報 |
非上場(以下は過去のデータ) 大証2部(廃止) ' 1988年8月 - 2002年1月 |
| 略称 | 三笠コカ、三笠CCBC |
| 本社所在地 | 奈良県天理市嘉幡町643番地 |
| 設立 | 1962年12月20日 |
| 業種 | 食料品 |
| 事業内容 | 清涼飲料水の販売 |
| 代表者 | 宮木博吉(代表取締役社長) |
| 資本金 | 1億円(2007年12月31日現在) |
| 売上高 | 265億14百万円(2007年12月期) |
| 総資産 | 135億42百万円(2007年12月31日現在) |
| 従業員数 | 251人(2008年1月1日現在) |
| 決算期 | 12月 |
| 主要株主 | コカ・コーラウエストホールディングス 100% |
| 主要子会社 | 三笠ビバレッジサービス株式会社 |
三笠コカ・コーラボトリング(みかさコカ・コーラボトリング)は、コカ・コーラ商品を販売する会社(ボトラー)のうち、奈良県、滋賀県、和歌山県の近畿地方3県を担当していた会社である。
なお、京都府、大阪府、兵庫県は近畿コカ・コーラボトリング、三重県はコカ・コーラ セントラル ジャパンの管轄であった。また、三笠コカ・コーラのエリアである滋賀県と奈良県・和歌山県は互いに接しておらず、飛び地となっていた。
業績
コカ・コーラの生産販売を日本で行うため日本コカ・コーラが、滋賀県、奈良県、和歌山県の3県をフランチャイズとするボトリング会社を設立すべく出資者を求めていたのに対し、1962年12月、国土計画系であった西武化学工業[注釈 1]の全額出資により、森田重郎を初代社長にして「三笠飲料」(資本金5000万円)が設立された[2]。
1963年3月には、テリトリー3県下でコカ・コーラ、ファンタの販売を開始[2]。1964年2月には、社名を「三笠コカ・コーラボトリング」と変更[2]。6月には奈良県天理市に本社工場を建設、1968年5月には滋賀県愛知川町(現・愛荘町)に滋賀工場を、1971年5月には和歌山県打田町(現・紀の川市)に和歌山工場を建設した[2]。
1964年、「コカ・コーラを飲もうよ コカ・コーラを冷やしてね、コカ・コーラ」というCMソングが、急速に普及していたテレビ、そしてラジオといった電波メディアを通じて、全国津々浦々に流された[3]。そして薬や醤油と誤認されることの多かった「コカ・コーラ」も清涼飲料水として広く認知されるようになった[3]。これを背景に、三笠コカ・コーラボトリングの販売数量は、64年~67年には年々倍増し、67年には162万ケースに達した[3]。67年~71年も販売の伸びは順調であり、71年には700万ケースを超えている[3]。
しかし1972年以降、三笠コカ・コーラボトリングの急成長にも陰りが生じた[3]。70年代半ばには、破瓶の問題やファンタ製品に濁りが派生した問題等があって、販売にブレーキがかかった[3]。さらに砂糖価格の上昇等で生産費も激増し、高金利に制約された営業外収支の赤字も拡大して、75年には欠損を計上している[3]。 1981年度までの経常利益は欠損続きで、ようやく82年度に黒字に転換したという状況であった[4]。これには、3年続いた冷夏の影響も大きく、売上の大半はコカ・コーラ、ファンタなどの炭酸飲料、果汁飲料であったため、夏季の需要減が売上低下の主因となっていた[4]。また三笠コカ・コーラボトリングの経営不振の一因は、夏季と冬季の販売の極端な落差にあった[4]。一時は、売上比で4対1から3対1近くまで格差があり、そのため夏季の売上低迷は経営に対する打撃としてきわめて大きく、この極端な季節格差を是正する必要があった[4]。このような状況を踏まえ、三笠コカ・コーラボトリングは製品の多様化と、財務体質の改善を強く推進することとした[4]。まず、製品面では、リアルゴールド、アンバサのほか、HI-Cオレンジ、アップルなどの非炭酸飲料の新製品の販売を行うとともに、とくに缶コーヒージョージアの販売を強力に推進した[5]。一方、財務体質を改善するために遊休地の売却が検討され、滋賀工場の隣接遊休地約17万㎡を売却した[6]。
大証上場
これら一連の施策の結果、三笠コカ・コーラボトリングの業績は、急速に回復した[6]。業績の回復に伴い、上場計画が浮上し、1985年11月、86年7月、11月と連続して第三者割当増資が実施され、自己資本の充実を図られ、1988年8月、大証二部に上場している[7]。三笠コカ・コーラボトリングの上場は、日本国内に17社あるボトラーとしては、山陽コカ・コーラボトリングに続く第5番目の上場で[7]、セゾングループとしては、87年のファミリーマートに続く6番目の上場会社となった[7]。
完全子会社化と吸収合併
2002年3月、コカ・コーラウエストジャパンが三笠コカ・コーラボトリングの3445万5500株(発行済み株式総数の30.8%)を筆頭株主の西武百貨店から取得し、さらに三笠コカ・コーラボトリングの発行済み株式総数の51%以上をTOBで取得し、完全子会社とした[8]。
2006年7月1日、コカ・コーラウエストジャパンは、近畿コカ・コーラボトリング、三笠コカ・コーラボトリングの両社と包括的な経営統合を行い、コカ・コーラウエストジャパンが同名子会社を設立して持株会社となり、「コカ・コーラウエストホールディングス」(CCWH)に商号変更した。CCWHの傘下に入った三笠コカ・コーラボトリングは、2009年1月、コカ・コーラウエストジャパン、近畿コカ・コーラボトリングとともに親会社のCCWHに吸収合併され[9]、「コカ・コーラウエスト」が誕生している。
沿革
- 1962年(昭和37年)12月 - 飲料の製造・販売を目的とし、三笠飲料株式会社を、東京都豊島区に設立。
- 1963年(昭和38年)3月 - コカ・コーラ及びファンタの販売を開始。工場が完成していなかったので製品を近隣のボトラーから調達。
- 1964年(昭和39年)
- 1968年(昭和43年)5月 - 滋賀工場完成。操業開始。
- 1971年(昭和46年)5月 - 和歌山工場完成。操業開始。
- 1974年(昭和49年)7月 - 和歌山工場に250ml缶製品製造ライン設置。
- 1977年(昭和52年)5月 - 奈良工場を閉鎖し、滋賀・和歌山の二工場に集約。
- 1978年(昭和53年)2月 - 滋賀工場にリットル壜製品製造ライン設置。
- 1982年(昭和57年)9月 - 和歌山工場にリアルゴールド等の小壜製品製造ライン設置。
- 1983年(昭和58年)3月 - 和歌山工場に300mlワンウェイボトル製品製造ライン設置。
- 1985年(昭和60年)10月 - 滋賀工場にジョージアコーヒー製造ライン設置。
- 1986年(昭和61年)3月 - 滋賀工場にPETボトル製品製造ライン設置。
- 1987年(昭和62年)4月 - 和歌山工場缶ラインを350ml缶製品製造に対応。
- 1988年(昭和63年)8月 - 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場。
- 1989年(平成元年)9月 - 本社事務所を奈良市に移転。
- 1990年(平成2年)6月 - 和歌山工場にPETボトル製品製造ライン設置。
- 1992年(平成4年)6月 - 滋賀工場コーヒー・茶製造ラインを改造し生産能力を倍に。
- 1996年(平成8年)6月 - 本社事務所を天理市に移転。
- 1996年(平成8年)11月 - 和歌山工場の壜製品(PETボトル・ガラス壜製品)製造ラインを滋賀工場に集約統合。
- 2001年(平成13年)12月 - 和歌山工場を閉鎖。
- 2002年(平成14年)
- 3月 - コカ・コーラウエストジャパン株式会社(CCWJ)が、西武百貨店の持ち株全株譲渡及びTOBにより360万株を取得し、完全子会社化。大阪証券取引所市場第二部上場廃止。この流れの中、元社員がインサイダー取引に関わった容疑で逮捕される。
- 10月 - 近畿コカ・コーラボトリング株式会社(近畿CCBC)が、コカ・コーラウエストジャパンから34%の株式を取得。
- 2006年(平成18年)7月1日 - CCWJと近畿CCBCが経営統合。CCWJが、会社分割により(新)コカ・コーラウエストジャパン株式会社を設立し、コカ・コーラウエストホールディングス株式会社(CCWH)に商号変更。同時に、近畿CCBCが株式交換によりCCWHの完全子会社になる。このため、三笠コカ・コーラボトリング(三笠CCBC)も同社の完全子会社になる。
- 2009年(平成21年)1月1日 - CCWHが、CCWJ、近畿CCBC、三笠CCBCの3社を吸収合併し、コカ・コーラウエスト株式会社に商号変更。
工場
- 滋賀工場(MS→MSI→WSI)- 滋賀県愛荘町愛知川1343
- 晩年は主にPET製品とジョージア缶製品の製造を担当。コカ・コーラウエストプロダクツ滋賀工場を経て2009年に閉鎖、跡地はUCC滋賀工場。
- 奈良工場(廃止)- 奈良県天理市嘉幡町643
- 本社敷地内に開設。1977年に滋賀・和歌山両工場にラインを集約し廃止、物流倉庫として活用。
- 和歌山工場(W→MWA、廃止)- 和歌山県紀の川市花野20
- びん製品及び缶製品の製造を担当。1996年に壜製品(ガラス壜及びPETボトル)ラインを滋賀工場に集約統合、2001年に廃止、跡地は打田SCとして活用。
その後三笠エリアで販売されていた缶製品は近畿コカ・コーラボトリング京都工場(のちにコカ・コーラウエストプロダクツ京都工場)で生産された。
※工場名の後ろの英字は製造所固有記号
異物混入問題
滋賀工場で2006年の3月26日から30日の間に製造された炭酸飲料と清涼飲料水のペットボトル入り計6製品に、鉄の微粉末が微量混入したことが判明。5月1日、日本コカ・コーラ社は自主回収をすると発表した。
発表によると4月末に、滋賀工場で製造された日本コカ・コーラ社の飲料水を飲んだ顧客から「黒い粉が混ざっている」との指摘があり、調査の結果、滋賀工場の製造工程の糖度と炭酸ガス測定器の鉄製部品にヒビが入り、鉄粉が混入した可能性があることが分かった。異物が混入された製品は三笠コカ・コーラボトリングの管轄地域外(京都府・大阪府・兵庫県・長野県・北陸地方・東海3県)にも出荷されていた。
- 異物が混入された日本コカ・コーラ社製品(いずれもペットボトル)